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2004/04/20 (Tue) 名探偵・日記ダイアリ

 彼の名前は日記ダイアリ。誰もが彼を名探偵と呼ぶ。彼に解決できない事件はない。得意技は超絶帰納論理展開と呼ばれる推理で、まあ、言ってみりゃ押し付けなんだけど。
 今日は彼は一人で考えていた。テキストサイトの盛衰とブログの登場によって白熱が加速した「日記」界。人はなぜ日記を書くのか。そして、なぜ書くことをやめられないのか。以下は彼に語ってもらった内容である。

 まず、「日記」は「似る喜(にるき)」に通じる。つまり他人と同じような喜びを共有したいがために綴るのだ。そして、日記は「日」を「記」す。さらに云えば「日」と「言」、つまり「言葉」で「己」を書くことなのだ。ゆえに書くことは本来、自分のことだったはず。自分がその日に体験したことを綴るものだ。時代を遡ってみれば紀貫之のなんたら日記が有名だが、その日に体験したことを綴るという点においてそれは邪馬台国の時代にまで遡る。魏志・倭人伝では日記を「爾喜(にき)」と表現している。爾、つまり「おれ」である。俺の喜び、なのだ。つまり紀貫之は「女がすなる日記というものを男もするなり」みたいなことを言って書き始めたが、本来的に日記は男が書くべきものであって、女子供はすっこんでろ、みたいな風潮があった。しかし当時の民間人は字の読み書きができなかったため、邪馬台国の女王は日記を女のたしなみ、と位置づけたのが始まりである。
 そしてなぜ日記を書くのか、なのだが、人は自分をスペシャルな存在だと位置づけて欲しいものなのだ。他国の日記事情を見てみればよくわかるだろう。まず欧米。一般の民間人が日記を付けるなど、老人以外にやっていない。若者はまるでそんなことはしない。なぜか? なぜならば他国の若者は自分をスペシャルな存在だと認識しているからなのだ。いや、多少は書いているかもしれない。しかし、それをわざわざネットに載せて全世界にさらすようなことはしない。する奴もいるがな。そしてアジア、アフリカの諸国では日記は教育的・政治的なツールだ。今日はこの地区で暴動が起きた、今日はこの地区で井戸が開通した、などなど。ニュースみたいな扱われ方をしているのだ。文字通り、その日の記録に過ぎない。そこに自意識が入り込む隙間もないというわけだ。
 ならば、どうして日本という国で日記が盛んになったのか。理由は簡単だ。戦後の「平等社会」「平等教育」によって、標準偏差のもとで育てられた子供たちは自分の存在を「平均より上あるいは下」という考えで捉える。ゆとり社会? ゆとり教育? たわけが。ははは。ちゃんちゃら可笑しい。そんなものはほとんど意味がない。阿呆を育ててどうする。つまり、平均を主軸に考えていると、自分を相対的にしか認識できないのである。自分は自分だと云いたい若者および若者の意識を持ち続けているモラトリアムくんだりは、絶対的な自分の確保に躍起になる。そのためのツールが、全世界に発進された、自分を評価するための物差しなのである。それが日記。日本の実情を記す、とした外国人記者は個人の日記を読んで日本をクレイジーだと判断したという記事がある。しかし、「記事」は「生地(きじ)」に通じるから、そんなクレイジーな風潮が日本のあるがままの姿だと言っても過言ではないだろう。ははは。いとをかし。
 まあ、さらに云えば「記事」は「雉(きじ)」に通じる。雉といえば「犬、猿、雉」である。つまり、「居ぬ、去る、記事」なのだ。居ぬというのは自分がいないということ。自分を表現したいがために自分を殺してしまう。去るというのは自分の考えを捨て去ること。そうまでして記事を形にしたいのだな。そうすることで日記の姿はさらに多様化した。自分を表現するため、再び標準偏差判断法に立ち戻ったのである。人と同じような手法を使い、同じようなネタをこねくり回し、同じようなメディアから引っ張ってきたソースをどうにか脚色して自分の日記、とする。つまり、編集した自分を認めて欲しいのだ。こいつはすごい、と思われたいという部分では同じなのだけれど、ここで次の段階が必要になる。「居ぬ、去る、記事」は揃った。ならば次はそれらをまとめる「桃太郎」が必要だ。編集者、つまり日記書きは自身を超絶の存在・桃太郎と置き換えようとしている。無意識にしているのだ。しかし「桃太郎」は「喪模他狼(ももたろう)」に通じるから、死んでしまった一匹狼を模そうとして結局失敗してしまっているケースがほとんどだ。つまり、オリジナルになりきれていないのだ。ならばその桃太郎に対する「鬼」はどこにいるかと言うと、「鬼」は「御爾(おに)」に通じるから、上記のように爾という字は俺を意味するので結局、「俺様」という意味に帰着してしまう。日記はどこまで行っても結局自分を綴る以外にないということだ。
 そして、日本古来の伝統の物語、「桃太郎」に「日記」の在り方が内包されているとすれば、これはもう、将来のことも予測可能である。
 桃太郎は突如流れてきた桃から生まれ、そして鬼を殺し、姫と金銀財宝を手にして帰る。もうお分かりだろう、「御爾」つまり「自分自身である俺様」を殺し、「姫」と「金」を手にするのだ。「姫」は「秘め」に通じ、「金」は「貨値(かね)」に通じる。よって、自分自身の表現を殺してまで金を稼がなければいけなくなるときが来るというのだ。そのとき、秘めるまでもなく、隠すまでもなく、日記帳は閉じられるだろうし、日記サイトも更新できなくなるだろう。それを教えてくれたのはやはり桃太郎から生まれた「侍」である。桃太郎は大人になり、桃太郎侍になっていく。アフターサムライ、と呼ばれるサイトの中でも、今ではあの伝説の「侍」を知らない世代が出始めている。あの侍の生き様に分かるように、最後の最後で「俺様」を殺すとなれば舞をひとふり舞って、華々しく斬り捨てるだろう。
 つまり、日記なんてやってられるのも若いうちだけですよ、ということだ。だから今はせいぜい書くがいい。それが「記」である以上、最初に書いたとおり「喜」に通じるのだ。読み返してみれば当時の儚い思い出に顔を綻ばせられるに違いない。

 …という具合で案件、今回も完了! 一件落着ッ!

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2004/04/18 (Sun) 救世主

「ねえ、ヒーローってほんとにいるのかな」
 子供の頃、ある女の子が言った。彼女は僕と同じ年だった。同じ施設にいて、同じ御飯を食べて、同じテレビを見て育った。その子は僕らが中学を卒業するちょっと前に、どこかへ引き取られて施設を出て行った。それからのことは、十年間なにも知らなかった。知らない方がいいのかもしれない。そういえば、僕を含めて施設で育ったやつらはみんな、連絡を取り合おうとしないのだ。年に1回か2回施設に帰って子供たちと遊んだりおばちゃんと話をしたりする。そのとき、昔の知り合いたちに会うこともあるが、その場で話をするだけで番号の交換はしないのが僕らの普通だった。
 おかしなことに、僕はあの子の名前も忘れてしまっていた。
 前に帰ったとき、おばちゃんからあの子が亡くなったことを聞かされた。事故だったらしい。僕はあまり悲しいとは思わなかった。そういう人生もあるんだろう、くらいのものだった。

 ――ねえ、ヒーローはさ、いないって知ったよ。
 彼女のお墓は施設の裏の共同墓地にあった。結婚はしていなかったらしい。線香を上げて手を合わせ、彼女にそう呟いた僕は、ふいに涙を流してしまった。大人になって施設を出て、社会へ出た。そうして一人で生きていくことが分かり始めてきた最近、ヒーローはいないということに僕は気付いたのだ。
 だけど、まだ、諦めきれない。
 この刹那さはなんだろう? 彼女がいなくなったからか? 恋をしていたわけでもないのに。

「出てこいよ、ヒーロー。出てきて、僕らを救えよ」
 彼女の墓に背を向けて呟いた。僕はこれから、施設で残虐な行為に走るだろう。罪を犯すだろう。子供を殺すかもしれないし、友人を傷つけるかもしれない。おばちゃんの心も、施設の外観も、全てをボロボロにぶっ壊すだろう。
 なあ、本当にヒーローがいるんなら、僕を止めろよ。そうして可哀想な子供たちを守るんだ。誰も傷つかないように、誰も涙を流さないですむように、僕を止めるんだ!

 警察が正義の味方ではないことを知っている僕は俺は、だけどだからヒーローを求める。


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2004/04/13 (Tue) 誰も書かなかったミステリー

 ミステリーをつきつめると、オカルトに行き着く。逆にオカルトを辿るとミステリーに出くわす。それは誰もが通ることで、今さら語ることではない…はずだった。けれど、あえて語らなければいけない。誰もが知っているから語らないという不文律は、それ自体を明文化しなければ残らないのだ。残す必要? …あるさ。あるからいつまでも続いていくのだ。

 たとえば、ゴミ収集の日。一人暮らし経験者なら知っているだろう、ゴミを出した日の夕方はなぜか宅配便が多い。結果、ゴミが朝より多くなってしまうのだ。
 たとえば、ギャンブル。勝ち得た金で食事をして次の日にまたギャンブルに手を出すと、往々にして負けてしまうだろう。同じ額だけ賭けたとしても食事の分だけ(しかもそれはさぞ豪華な食事だったことだろう!)マイナスが大きくなる。ギャンブルの純利益は±0にできるはずだ。負けが多くなるというのはそれ以外にカネを費やしているに過ぎない。
 たとえば、他人の酒。ちょっと違うものを飲んでいるだけということを知っているはずなのに、どうしてかそれは美味そうに見えてしまう。そして「ちょっと一口くれ」とつまんでしまうのだ。それは他人の恋人がよく見える心理と同じと知っていながら、どうしてやめられない?
 たとえば、朝のニュース。同じ内容の下らない芸能しかやっていないのに、しかも他人と話を合わせるわけでもないのにそれをつい惰性で見てしまうのはなぜか、考えたことがあるか? きっと毎日のスケジュールのひとつに組み込まれてしまっているのだ、その下らない時間が。
 たとえば、便所掃除。どうせやるならと徹底的な清潔さを目指すあまり、他の箇所の汚れも気になったせいで結局大掃除になってしまうだろう。しかも汚したくないからと自分の家のトイレを避ける有様…本末転倒とはこのことか。
 たとえば、夜の神社仏閣。何を、と問われれば答えることもできないくせに、何もない何かを恐れてしまっていないだろうか。もしかしたら何かあるかもしれない、もしかしたら何か危害を加えられるかもしれない…そんなことを思って。

 ミステリーとオカルトの共通点はそう、「もしかしたら」だ。Y字に分かれた一本の道は、そこで二つに分かれる。一方は幸福に、もう一方は不幸に繋がっていると誰もが信じている。欲しているのは「正解の道」だ。しかしここで、その道を俯瞰で見て欲しい。
 Yの先にYがあり、そのまた先にYがある。それを繰り返していけば、まるで木の枝が無限に広がりを見せながら成長していくように、細く弱い枝へと辿り着く。それを恐れるほど、このメッセージを聞くあなたは愚かではないだろう? なぜなら、花が咲くのはその小さな枝のさらに先端なのだから。


 ――誰も書かなかったミステリー、それを辿る旅の途中で見つけたヒントを収録したというテープ。それがどこから出てきたのかは、誰も知らない。なぜならそれは、ミステリーなのだ。そして僕が辿るこの宝の地図もまた、誰がどこでどうやって作り、そしてこの髑髏の目の位置に宝をどうして埋めたのかは、誰も知らないのだ。
 それとも、誰も知らない、誰も語らないミステリーというのは…必要のないものではなくて、誰も残せなかったから、ではないだろうか。たとえばこの宝の位置にあるのが僕の命を狙うミステリーマニアだった、とかそういう理由で。


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2004/04/08 (Thu) テレフォンマン

 深夜、ケイタイが鳴った。相手は非通知。
 俺は友達も彼女もいないし、仕事の付き合いも悪い。だから俺のケイタイが鳴るのは実家からの小言か間違い電話か何かの勧誘だけだ。メールも同じようなもので。
 普通の人だったら非通知の相手はとらないかもしれない。でも、俺はそこに何かがあると思った。もしかしたら何か特別な出会いがあるかもしれない。そんな、一縷の希望みたいなものを一瞬で思い浮かべて通話ボタンを押す。
『……もしもし…』
 相手の声は、遠くくぐもっていてよく聞こえない。もしもし、と返してみた。
『もしもし…わたし…。もうすぐ…死ぬから…最後に話したいと思って…』
「はあ? 何言ってんだ! あんた誰だ?」
『だんだん…耳が遠くなってきたよ…ほら、血がいっぱい出てる…』
 こいつはサイコさんかと思った。それならば話している意味もない。さっさと切ってしまえばいいものを、なぜか俺は真剣に会話を続けた。
「あんた、今どこにいるんだ? 死にそうなのか? 救急車呼んでやるから場所を教えてくれ」
『あはは…目も…もう…あんまり…見えないよ……。外はきらきらしてるよ…きれー』
 時計を見た。深夜零時を回っている。この時間、街の方ならまだ明るいだろう。もっと詳しい状況が必要だ。
「それで? 何か建物は見えるか? というかそこの住所は? 教えてくれっ」
『……あなたの…』
「え?」
『あなたのこと、見てたよ…』
 彼女の声は、ともすれば恐怖のストーカー宣言になったかもしれない。しかし俺は冷静だった。俺の部屋には窓がひとつ。ベランダだけだ。ベランダに急いで出てみると、中野の街が見えた。この視界の中に電話の主がいるというのか?
『…わたしが…捨てた犬……えさをあげてくれたの…あなただけだったから…』
 思い出した。二ヶ月ほど前の会社帰り、道路に段ボール箱があった。その中には新聞紙が敷かれ、小さい仔犬が入っていたのだ。素通りした俺はコンビニまで行ったついでにペットフードを買ってそこへ戻り、えさをあげた。不憫に思い、物影からその犬が誰かに拾われるまで見ていたのだ。まさか、あのとき俺以外にあの犬を見ていた人がいたというのか?
「きみは、あの犬を捨てたのか?」
『……×××…』
 何か言っているが小さすぎてよく分からない。しかし、今の話が本当だとすればあれは中野駅からさほど遠くない場所だったはず。そこまでダンボールをかかえた女が歩いていけるとすれば、確かに女の場所はここからそう遠くない。まだ間に合う。
 俺は不覚にも目頭が熱くなってくるのを感じた。あのとき、仔犬は中学生くらいの女の子に抱き上げられて連れて行かれたのだ。あの後、犬は幸せになってくれただろうか。あのとき本当は、俺が連れて行きたかったのに。この安アパートでは犬は飼えない。そのことを後悔していたというのに。
「きみの居場所を教えてくれ! いますぐ、そっちに行く!」
『やっぱり…あなたは…やさしいね……でも、もう……×××…』
 だんだん声が遠くなっていく。
「待て! しっかりしろ! しっかりするんだ! 住所を言え! 早くっ」
 何かにすがりたいと思った彼女は、きっと俺に電話をよこしたのだろう。しかし、それはもしかすると俺も同じだったのかもしれない。慌てて部屋を出たが、外はしんと静まり返っているだけだった。
『ありがとう…ござ…』
 電話は通じたままだったが、そこで彼女の声は途切れた。
 それから後のことは、正直覚えていない。この都会で一人暮らしをしている若い女など、数えればきりがない。探しようがないのだ。
 朝までうろうろしていた俺は、気が付くとあの犬が捨てられていた電柱の下に来ていた。ここにずっと立っていたのかもしれないし、今さっき彷徨い着いたのかもしれなかった。
 もう静まり返ったケイタイを耳にあて、何も聞こえないのを確認してから、通話を切った。
 時計を見ると午前6時半。なんと徹夜してしまった。この歳になって徹夜すると、今日の昼ぐらいがきついのは分かっているが…

 とぼとぼ歩いて帰ろうとしていたとき、前から中学生くらいの少女が小さい犬を連れて散歩にやってきた。犬は俺の足元を少し嗅いだ後、そのままてけてけと歩いていった。
 水色に染まった空を見上げる。そろそろ初夏の匂いがした。
 俺は、部屋まで全力で走ることにした。あの電話の主から、何か大事なものをバトンタッチされたような気がして。

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2004/04/03 (Sat) 夜回り探偵

 今や若者はシブヤに集まるだけではない。どこの街でも夜になればそれなりに若者が集まりだし、路上に座り、タバコと缶コーヒーでダベる。意味のない会話だ。意味のないことで笑い合い、希望のない夢を語り合い、カネと異性とセックスの話で盛り上がる。俺はいつもそれを見ては溜め息をつき、そして当たり前のようにその輪に入って「それでそれで?」と話しかける。最初はうぜえよこいつ、と思われていても、適当に笑っていれば乗りのいいやつだと思い込まれて勝手に打ち解けてくれる。そんなとき、彼らはいつも将来の不安について語る。
 その日であった浮浪者みたいな格好の若者は、皆大卒だという。一度は就職したがどうもこれは違うと感じてすぐに辞め、こうしてプータローとなって世間を批判するだけの無為な存在に陥ってしまっていた。彼らはいってみればひきこもりと変わらないのだ。部屋に篭って自分の世界に没頭しているか、街でたむろして自分たちの世界に没頭しているかだけの違いだ。結局は何も変わらない。
 彼らの特徴は、結論を急ぎたがるところだ。
 自分たちの無為な会話は延々と続くのに、俺のような外部の人間に対してはすぐにこう言う。
「で、つまり何がしたいの?」「で、結局何なわけ?」「で、どうすりゃいいのさ?」「で? で?」
 つまり彼らは、自分で考えることを放棄しているのだ。彼らの話が続くのは、ただ答えを求めていないからだ。言ってみれば質問のキャッチボール。「暇だなあ、どうする?」「そうだなあ、どうする?」「つまんねえな」「どうしよっか」「そうだなあ」「ていうかさあ」「とりあえずさあ」「でさあ。でさあ」「で? で?」「つまり、暇ってことだな」「で、どうする?」
 エンドレスだ。きっと彼らは、このような毎日が延々と続いて平和に生きていけると思っているのだろう。それは無理な話なのに。なぜなら、時代が変わるまでもなく、彼らの後には続く者が現れるからだ。彼らよりも歳若い、それでいて彼らと同じような無為な存在たち。後押しされる形で彼らはその『密室』から出なければいけなくなる。押し出されてしまう。
 密室の外は、どんな世界だろう? 俺はいつも考える。だから、より小さな密室内に生きる者たちのコミュニティを探して介入してしまうのだ。そこに、外部からの救いを持って。

 たとえばある日突然、俺の目の前の空間が裂けて「きみを救いに来た」と笑ってくれる救世主が現れたとしても、俺はそいつを信じられないだろう。きっと彼らと同じように。大きな視点で見れば密室内でもがく事がどれほど愚かしいかを知っているはずなのに。
 だから彼らは、社会の真ん中、公衆の面前にある『密室』で死んでいく。群れの中にいても孤独なままで。そうありたくないと思う。だけど誰一人救えない。
 密室連続殺人事件(エンドレス・マーダー・インザ・シールドルーム)は、誰の責任だろう?

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2004/04/02 (Fri) ふぁみこん

 最近のゲームは操作性も抜群だし、絵も綺麗だし、ストーリーも素晴らしいし、ともすれば映画や小説以上の名言を生み出すし、人生になんらかの影響を与えるほどの力を持っているのだけれど、僕には、何か足りないのだ。
 初めてテレビゲームに触れて、もう何十年が経つだろう。時代が2,3回変わってしまったように感じる。そんな僕が今になって思うことがある。テレビゲームが「当たり前」になってしまったから、こんなことを感じるようになったんだ。

 太古、ゲームの中には妖怪が棲んでいたはずだった。

 操作性の悪さをどうにかテクで克服し、ドット絵の向こうに描かれる広大な世界をイメージし、バグと裏技を紙一重で使いこなし、「この先には何があるか全然分からない」というスリルを喚起してくれるほど単調な物語の中で、僕らは確かに、そう、妖怪を感じていた。
 暗闇には物の怪がいて、夜になると子供は恐怖し、月明かりに興奮を覚え、霊はいつか帰って来るし、陰陽術や心霊術が当たり前のように認知され、そう、「見えないものを信じる」ことがこの国の…日本の! 伝統的な文化であったはずだ。それがいつしか、進化しすぎたゲーム機はそれを片っ端から排除していった。イメージの向こうにあったはずのおどろおどろしいそれを明確に描ききり、オカルトという名称をただのインチキに仕立て上げ、結局すべてをつまらないものに変えてしまったのだ。
 だから今、僕は切に復活を願う。
 正体不明の物の怪と一緒に遊んだ子供心が、どれほど人の心に深みを与えるかを知っているから。
 善良な心を持った妖怪たちに助けを求める手紙を書こう。いつかきっと、金と欲にまみれた豚を殺してくれる物の怪が現れてくれるはずだから。

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2004/04/01 (Thu) discord life

 わたし、死んだらどうなっちゃうのかな。
 それが彼女の最期の言葉だった。たぶん、その言葉にはいくつも続きがあったんだろう。けれど、彼女が発することができたのはそれが精一杯だったようだ。
「お化けになって出てきてくれ」僕は言った。真顔で言った。そしてずっと一緒にいてくれ、そう付け加えた。彼女はそのとき、頑張るよと答えた。
 ――彼女は多重人格障害に悩んでいた。
 主人格は僕の彼女、サユリ。暗闇が怖いヨシコや、活字が大好きなチアキという2つの人格はときどき現れていたけれど、特に実害はなかった。リストカット常習のシホ、拒食症のアヤ、常に異常脳波(脳内麻薬が異常に出ているらしい)状態にあるジャンキーのキュウ、推定5歳児のアカネ、推定80歳のハルミ、そして手当たり次第に物を壊すタカアキという、計8人格が入れ替わり立ち代わりで彼女を蝕んでいった。彼女も入れれば9人が一つの体に同居していたのだ。
 僕は様々な文献を調べ、ドクターにも尋ね、超心理学者とも話し合い、霊能力者や物理学者の元へも何度も足を運んだ。

 多重人格の原因は、二通り考えられた。ひとつは一般的に言うような、幼少期の何らかのトラウマや現実逃避から人格を分離させてしまうケース。これは主人格とは正反対の人格が生まれることで有名だ。もうひとつは、最初から、そう、生まれる前から魂がいくつも共存しているケース。超心理学者はこちらを唱える場合が多かった。生まれる前に何らかのトラブルが起き、ひとつの体に2つ以上の魂が宿っている場合だ。あるいは、双子が生まれるはずだったのにひとりだけ生まれてきた場合にこのようなことがあるらしい。

 リストカットを繰り返し、拒食症で苦しみ、そして治療に当たるドクターや看護士さえも殴り倒す彼女に、最後まで近づけたのは僕だけだった。深夜になるとほんの数時間だけ彼女は主人格であるサユリに戻る。眠るまでのほんの数時間だけ、僕たちはいつも手を握って話をしていた。暗い病室で、いつもいつも。闘病生活も、もうどれくらい経つのかは分からなかった。
 サユリはいつも、話の最後で泣き出した。彼女は自分の中にいくつの意思があるのかを知っていたし、どうにか頑張って数時間だけ体を使うことを許してもらえていることも知っていた。体を操っていたのは、一番最後に現れた人格であるタカアキだったらしい。夢の中でサユリはタカアキにいつも暴行を受けていた。身も心もすり減らし、どうにか手に入れた数時間だった。僕はどうしようもなくて、手を握ることしかできなかった。病室のパイプベッドは彼女が寝返りを打つだけできしんだ。

 彼女の死因は、正直、よく分からなかった。その前後の行動から見るに、どうやらいくつもの人格が体の取り合いをしていたせいらしい。リストカットをしたり、薬を異常なほど飲んだり、それを吐いたり、窓ガラスを割ったり、怖い怖いと言いながら屋上へ駆け上がったり、ぎゃあぎゃあ泣き出したり、ぶつぶつ呟いたり、そして僕の名を呼んで倒れたり。
 倒れたきり、彼女は起き上がらなかった。心肺停止、脳波微弱。気付いた時には死んでいた。でも、僕は思う。彼女は最後の瞬間、自分を取り戻したのではないかと。

 死後の世界というのを、僕は信じずにはいられない。そうでもしなきゃ、僕らは報われない。もしもお化けになるなら、僕の部屋の僕のベッドのわきに立ってくれ。そして、僕らだけの合言葉を呟いてくれ。彼女が眠りに着くまで、いつも僕は手を握ってそう呟いた。


 彼女の死から数週間経った。
 ある夜、疲れて帰ってきた僕は部屋の電気もつけずにベッドに倒れこんだ。ふと見た鏡には、なにやらぼんやり青いような光が見えた。それは次第に人の形に変わっていった。疲れているはずなのに目が釘付けになった。どうやら金縛りにあっているようで、体はぴくりとも動かせなかった。鏡に映る僕の少し後ろに、その青いもやもやは移動した。
 目を閉じた。もやもやは僕の中でイメージになって、次第に一つの形に収束していった。そのとき思ったのは、なぜか木の枝だった。一本の幹から始まる枝はいくつにも分かれ、伸び、そしてそれを繰り返して際限なく続いてく。けれど、全体を俯瞰してみればそれは一つの木を形作るのだ。フラクタルやカオスは無限に続いていくけれど、それを俯瞰すれば一つの点に収束すると聞いたことがあった。人の心というのも、脳内でのいくつかのニューロンが全体として一つのイメージを作り上げるのであって、電気信号自体は決してイメージではないのだ。
 何を考えているんだ、と自分に舌打ちをした。
 あの人格たちも全部含めてサユリを形作っていた、とでも言いたいのか? 違う。決して違う。あいつらはただの邪魔者だ! サユリは一人でサユリなんだ。

「……おかえり」
 目を閉じたまま、僕はもやもやに呟いた。
「ただいま」
 もやもやは、照れたように笑った。僕にはそう思えた。沢山の言葉を用意しておいたはずなのに、どうしてだろう、何一つ口に出せなかった。ねえ、サユリ。きみはそこにいるのか?
「みんなは向こうで待ってるの。だから行かなきゃいけないの。みんな、わたしがいなきゃダメなんだって。でも、わたし、いつも側にいるからね。いつでも呼んで? すぐに駆けつけるから」
「分かってるよ。分かってる」
「うん」
「なあ、僕が行くまで、待っててくれるかい? そっちで」
「んー。わかんない。でも、ずっと見てるよ」
「一緒にいてくれないか」
「いつでも来るから、呼んで? でもさ、わたし。ううん、わたしたち。みんなであなたを守るから。だから、頑張って」
「ひどいよ、きみはいつもそうだ」
「ごめんね。ほら、なかないで」
「目を開けてもいいかな」
「見えないと思うよ」
「きみを見たい」
「ダメだよ。わたしのことは、もう、思い出だけにしておいて」
「きみを最後にもう一度、見たいんだ」
「いつも見てたでしょ?」
「焼き付けたいんだ」
「だーめ。じゃあまたね、わたし、行くね。みんな待たせてあるから」
「サユ――」

 目を開くと、そこには、何もなかった。
 床が濡れていたり、思い出の品が落ちていたり、手紙が置いてあったり、そんなことを期待した僕は苦笑して、そして、涙した。
 なんて言えばいいだろう。僕はこの先を、生きていく自信みたいなのを失ってしまった。きみが近くにいてくれるとしても、僕はもう、この先を歩けないよ。むかし読んだ小さな小説の主人公たちはこの先を力強く生きていくことを誓って、読者はそれに生きる勇気を与えられたものだ。けれど僕には、それができなかった。
 サユリは、僕たちの合言葉を、最後まで、口にしなかったから。

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