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2004/05/29 (Sat) USB

 アーノルドが死んだ。
 殺したのは、ほかならぬ私だ。

 アーノルドを殺してまで手に入れたウィリアムは、前に街角で見かけたときよりも華やかさがなくなっているように見えた。どうしてだろう? 私はずっとずっとウィリアムのことを思い続けてきたのに。たまたま通りがかった携帯ショップの前で初めて見たときから、この目に焼きついていたのに。以来ずっと、私はお金を貯めたのだ。ウィリアムを手に入れるために。彼を買うためのお金を。
 でも、それのためにはアーノルドを殺さなければいけなかった。2年も連れ立って、毎日毎晩一緒に過ごしていたのに、愛着どころか愛情を持っていたのに。私を裏切らない唯一の存在として、私もいつも彼を思い続けていたはずだったのに。
 いつから私はこんなに冷たい人間になってしまったのだろう。
 新しいものを手に入れるため、古いものを…愛情をそそいできたものをさえ殺してしまったなんて。

 殺す必要はなかった。けれど、離れてしまえばそれはアーノルドではなくなるのだ。今まで私と一緒にいてくれて、私を示してくれたアーノルドではなくなる。それは、もう死んでいるのと同じだった。だからあえて、私は彼を殺した。なきがらは押入れに無造作に投げ込んである。いつかその存在をさえ忘れてしまった頃、ふいに押入れを掃除なんかしたときに思い出すだろう。この日の私の愚行を。そのとき、ウィリアムは私と一緒だろうか?


 新しい私のパートナー、ウィリアムは期待以上の働きをしてくれるし、私に満足以上の喜びをもたらしてくれる。アーノルドならば100年かかってもできないだろうことを容易にやってのけてくれるのだ。
 仕事もプライベートも、彼の協力ひとつで全てがうまくいった。
 彼は確かに最高だ。だけど、私には2つもの不安が残った。
 アーノルドの存在と、そして将来アーノルドと同じように私が自ら選択してウィリアムの命を奪うだろうことだ。それは2年以上先かもしれないし、ひょっとしたら来月のことかもしれない。どちらにしてもウィリアムとも離れるときが来るのだ。永遠なんてない、それは分かっているのだけれど。


 ふと、通りがかったのはあの日ウィリアムに初めて出会った携帯ショップだった。ウィリアムが疲れていたので、彼の充電ついでに立ち寄ってみた。コーヒーを飲みながら店内を見回す私と、テーブルにもたれて微動だにしない彼。そこで私は、見つけた。
 それは一本の細いロープだった。けれど、私にとっては魔法のロープだったのだ。私はすぐにそれを購入し、疲れきったままのウィリアムを無理矢理連れ出して家へと急いだ。帰ってすぐに押入れを探索し、静かに冷たくなったアーノルドを見つけ出した。
 アーノルドの尻にその魔法のロープを挿し込み、ロープのもう一方を私のパソコンに繋いだ。
 …アーノルドは、復活した。

「ごめんね」私はそっと呟く。誰にも届かない言葉を。

 以来、私はウィリアムもアーノルドも両方持ち歩いている。ウィリアムは普段使う電話として、アーノルドはその画素数にものを言わせてカメラとして。それだけではない。時計にもメモ帳にも使えるし、ボイスレコーダーの役割さえも担ってくれる。やはり使い慣れた携帯に限る。新しいウィリアムはパケット使い放題というだけで、実機として使うならやはりアーノルドの方がいい。
 いつか、彼ら両方の能力をはるかに超越した最新機種が出るだろうし、そのときはまた私はその機種に変更するだろう。だけど、カメラとして、ボイスレコーダーとして、メモ帳として、時計として、ゲーム機として、赤外線通信機として、目覚ましとして、私は愛着のわいた彼らを使い続けるだろう。
 中身のアドレス帳にあった彼氏の名前を消し去っていたとしても。

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2004/05/20 (Thu) ループ

 仕事辞めます。
 そう言って退職願を部長の机に差し出し、一言の返事も貰わずに自分の机を綺麗にしてオフィスを出た。周りはいきなりの俺の行動にオイオイ、まじか、などと言い合っていたけれど、そんな言葉に耳を貸す余裕もなかった。
 ふらふらと出て行く俺に、具合が悪いのか、なにも辞めることないじゃないか、頑張れよ、と声をかけてくれるやつもいた。カードキーを入れるのに手こずっていると、美人で有名な…何て名前だか忘れた子が手伝ってくれた。ありがとうと言いたかったが、くいしばった歯の力を抜くと一気に「持っていかれ」そうだったので少し笑顔を作って誤魔化し、さっさとエレベータに乗り込んだ。

 どうにか部屋まで着いた。それから一分もしないうちに俺はベッドに倒れ込み、そのまま夢に落ちていった。
 ……誰か助けてくれ。力を抜けた口からこぼれた。誰も来るはずがない。

 きっかけは、過労による不眠症だった。先月末まで休日も定時もあったものじゃなかった。薄給の中で死にそうになりながら仕事を続け、帰ってきても目がきんきんして眠れない。睡眠薬に頼るようになり、ほんの4時間の睡眠にも関わらず毎日飲み続けた。そのうち、一錠では足りなくなってきた。二錠、三錠…薬は増えた。仕事だけでなく、自分が眠れない体質だという思いもストレスになって俺はどんどん眠れなくなっていった。薬をやめたのは一昨日だった。その前の日は4時間寝るために18錠飲んだ。明らかに過剰摂取である。普通の人の18倍の量の睡眠薬がなければ俺は眠れない。完全なオーバードーズだった。

 薬をやめて二日で、たまっていた薬の効果が一気に押し寄せてきた。マイナスがプラスに変わるのだ。今朝から俺は身体が重くてほとんど動かない。過眠症になってしまったのだろう。この先の展開は知っている。不眠と過眠を繰り返し、それがやがて鬱と躁になってさらに加速する。三日ほど眠り続け、四日ほど起き続けるという一週間だ。

 だけど俺はその中にひとつの救いを見つけた。
 夢の中の物語を思いだしたのである。
 夢の中で俺は誰もが憧れるヒーローで、悪い奴を次々に退治して、最愛の恋人(美人)ともラブラブなのだ。たぶん、こっちの世界で抜けた力が向こうで活躍してくれるんだろう。それならそれで構わない。こっち側の力を全部向こうに持っていけばいいだけだ。そうすれば俺は永久不滅、絶対無敵のヒーローになれる。いつまでもヒーローでいられる。
 いや、これが夢なのだ。いつも無敵で健全なヒーローが見る、くたびれた会社員の日常が。だから夢よ、早く醒めてくれ。俺を真実の世界で目覚めさせてくれ。眠りの中にだけ救いがあるとすれば、俺は早く眠って向こうへ行きたい。そして目覚めるのだ。本当の俺になるために。

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2004/05/15 (Sat) 希望の見つけ方

 7月、という響きはなんだか今年の半分以上が終わってしまったような気がして、元旦に掲げた目標がまるで達成されていない自分を振り返って果てしなくブルーになってしまう。けれど、ふと思った。7という数字が月を意味するからなんだか凄い時間が経ってしまったように思うのだ。そこで発想を逆転させることにする。例えばテレビだったら? …考えるまでもない。12時に鐘が鳴り響いて今日が終わってしまうけど、この7月をテレビ時間に例えれば簡単なのだ。今までちょっと長いお昼寝をしていただけの話で、今からゴールデンタイムが始まるのだ。そう思うだけでわくわくしてくる。今年の目標は何にも達成してないから、今から追い上げればいいだけのことなのだ。
 そんなことを思って、午前5時、寝付けない僕は散歩にでかけることにした。手に持っているのはいつもの小説ではなくて、引き出しから偶然顔をのぞかせていた僕の日記帳だ。もう3年も前の日付で終わっている日記帳。それを多摩川のほとりで読もうと思う。こんな時間だけど犬を連れた人やジョギングする人が沢山いる。心なしか空気もおいしい。水はまずいけど。
 過去の日記は駄文にすぎず、その日その日の記録に過ぎない。けれどどうだろう。3年も寝かせていたせいで、その記述が今や「物語」になっているではないか。僕が目指す「御話」にも通じるほどの、圧倒的にリアルで重厚な物語だ。何でもないことがこんなに面白いなんて、どうして気付かなかったのだろう。
 空を見上げる。鳥はいない。雲はきれぎれ。息を吸い込むと冷たい空気が鼻腔を刺激した。うん、気持ちいい。
 暑くなる前に帰ろうと思い、自転車にまたがる。そこで僕は気付く。馬鹿すぎる間違いを犯していたことに気付いたのだ。
 1年は12ヶ月。なのに7月が後半よりもっと進んだように感じるのは、まるで1年の7割が終わったように思っていたからだ。つうか、「今年」ではなくて「今年度」だったら? 3月か4月から始まる僕の生活、まだ3ヶ月しか経っていない。ほんの4分の1だ。
 言い訳じみてるだろう? わかってるよ。
 独り言を、通り過ぎた猫に向けてみる。

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2004/05/07 (Fri) 万年青

 駅裏にあるくたびれた花屋さんには、ほとんど誰も足を運ばない。
 駅ビルにある大きなフラワーショップは今日もにぎやいでいるというのに。僕は暑い中、アイスコーヒーをちるちると吸いながらふらふら歩いていた。汗を拭うのは面倒だからそのままだ。僕が肥満中年だったら汗を拭っていても垂れ流していても「ウザーイ」「クサーイ」「マジ死んで」と言われているところだろうが、僕はカッコイイので垂れる汗も輝くのだ。まぁ、帰って背中とか腰の辺りを見ると汗疹が出来てるんだけれど。
 で、くたびれた花屋さんだ。僕は実はそこの数少ない常連で、彼女の部屋へ遊びに行く時はいつも花を一本買っていくのだ。
 暑い店先で、店主のおばちゃんは周りを気にしながら水を撒いていた。今日も暑いですねとぺこり、頭を下げられて僕もおじぎで返す。
「何かいい花ありますかね」
 いつものように聞いてみた。僕は花についてあまり知らないから、旬のオススメを選んでもらうのだ。おばちゃんはそうやねえ、と関西弁が入った口調で何か言いながら店先に出ている花を見回す。数少ない客の僕は、おばちゃんの数少ない話し相手というわけだ。一本買ってもいつも一本サービスしてくれる。僕は彼女の部屋へ一本の花を持って行くが、もう一本は花屋と駅を挟んで向こう側にあるくたびれた駄菓子屋へ持っていくのだ。そこのお爺さんも僕を数少ない話し相手だと言ってくれている。
「これなんかどうやろうね」
 そう言っておばちゃんはひとつの花を指した。小さいとうもろこしみたいな形の白い花だった。なんかちょっとキモいけど。
「それって何て言う花です?」
「オモトって云うのんよ」
「おもと?」
「そう。漢字じゃ万年青って云うねんで。ほら、パソコンやら携帯で変換してみ? オモトで出るから」
「おもとですか。青くなるんですか? その花」
 おばちゃんはハハハと笑った。
「この花な、七月ごろに緑色の実が付いて、冬になったら赤く染まるねんで。青くはならへん」
「赤くなるのに万年青ですか」
「そうや。どう?」
「いいですね。それ、もらいます」
 その万年青を一本買って、店を出た。赤を表す青、そういうのも悪くない。レッド・アンド・ブルー。僕は古い歌を口ずさみながら駅へ向かった。


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2004/05/05 (Wed) だるまになった男

 疑問に思っていることがある。子供の頃からずっと。
 たとえば目が見えない人は眠っている時にどんな夢を見るのかだとか、耳の聞こえない人はCDに唄われている曲をどんなメロディだと判断しているのかだとか、力が強いだけのオスを探して交尾をする動物がその行動にどのような認識を下しているのかだとか、毛を刈られて丸まった羊のしょっぱそうな顔の意味だとか、この世界にある全ての本を読み終えるまでにどれほどの時間がかかるかだとか、宇宙って結局何なのかわかんねぇなこりゃ、みたいな、どうでもいいような下らないことだ。けれど僕はそれを一度考え始めるときりがつかなくなり、ずっと思い続けてしまうのだ。
 けれど、この歳になってようやく分かりかけてきたような実感を得た。それは僕が大人になり、物事を吸収して覚えていく子供とは一線を画すようになってしまったという実感でもあった。謎は謎でなくなり、理路整然とした事実として記憶されるだけのものになってしまう。
 そんな僕でもやはり、未だに疑問を持つことがある。

 たとえば死の宣告を受け余命何ヶ月と言われたとき、たとえば耳がだんだん聞こえなくなっていく病気になったとき、たとえば目が見えなくなっていく運命を背負ってしまったとき、たとえば料理の味がわからなくなってしまったとき。
 僕はそのとき、どうやって思い出を確認するだろう。
 目が見えなくなったらテープレコーダーで? 耳が聞こえなくなったら写真で? 味が分からなくなったら匂いで? じゃあ感覚が全てなくなってしまったら? いつかそんなことを思っていたことさえも知られずに忘れられて行くとしたら?

 昔読んだ小説に、面白い一説がある。僕は考えすぎて不安になったときはいつもそれを思う。そのときはなぜか、古い歌が頭の中に流れている。そうして僕はまた落ち着くのだ。



 「思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」



 そんな言葉に何度も何度も救われてきた。
 思い出さなくてもいい、と誰かが僕をきっと肯定してくれるのだろう。思い出せなくなるのはそれが記憶だからだ。そして記憶とは僕の外に存在していればそれでいいものである。だからって僕の恐怖が薄れるわけではない。けれど、少しは救われる。思い出すのではなく、ただ思うこと。そうすることで僕は亡くした感覚を手に入れられる気がするから。
 目と耳と鼻と歯と舌と片手と片足を削ぎ落とされてダルマにされてしまった僕でも、なくなった器官が持つ感覚は「覚え」ているのだ。だからこそ思う。今はない両手で人の首をぎりぎりと締め上げるその感触を。そして思う。思いを馳せる。

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2004/05/02 (Sun) ドットフィアーズ

 インターネットの広がりが本格的に懸念されてきたのは2010年も終わりに近づこうとしていた頃である。21世紀が始まって10年目に突入しようと世間が祭りに騒いでいたとき、若者達は次々と原因不明の奇病で倒れていった。彼らに共通する特徴はひとつ、一日に4時間以上ネットサーフをしていたことだった。
 倒れた者たちは病室で意識を取り戻すと、医者に訴え始めた。彼らは皆症状が異なっていた。しかしそれを発症した彼らは共通していたため、病名はドットフィアーズ――.fears――と名付けられた。ある者は部屋が怖いと云い、またある者は色が怖いと言った。他にも、犬、人、自分、鏡、洋服、パソコン、文字、テレビ、音楽、髪、ドア、空、水、写真、カレンダー、お金、ジーンズ、圧縮袋など様々なものを怖がるという症例が見られた。彼らに共通するのは何かを圧倒的に怖がっているという点だけで、感染方法もその原因も解決策も何も見当たらなかった。
 さて、誰がドットフィアーズという名をその症状に与えたか? それはパソコンがまだマイコンと呼ばれていた時代にも起こっていたが、あまりに小規模だったために忘れられた言葉でもあった。いわゆるコンピュータウィルスである。そのウィルスに侵されたコンピュータは、OSを根本的にやられてしまう。拡張子の読み取り方が分からなくなり、どの拡張子に対してどのソフト、どの処理を施せばファイルを展開できるかが分からなくなるのである。それがどうしてか、今度は人間に起こり始めた。
 患者たちはつまり、世界の拡張子を読み違えているのだ。本来恐怖すべき事項である「死」や「幽霊」あるいは「トラウマ」「病気」「大統領」「警察」「饅頭」などと、そうではないものに対する処理を脳が吐き違えていた。例えば目の前に本があるとする。これはパソコンで云うなら「.book」とでも表示できるだろう。テキスト、外装、著書、種類などを考慮せずこれは本だ、というオブジェクト指向で考えるならば、である。それを違う拡張子のものとして捉えるという症状だ。
 こうなると幻覚の世界である。本来「人」に見えたものが「犬」に見えたり「幼女」に見えたりするのだ。現在、有効とされる治療法はたったひとつだ。幻覚物質を与え、逆に読み取り方を分からなくさせる。そうすると感覚がリセットされるため、「対象」と「その名前」と「その存在」を認識できるようになるのだ。一時凌ぎでしかないのだけれど。

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