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2004/08/25 (Wed) フルーツ

 苺は初恋の味、みたいなことを云う人がいるけれど、わたしにとってはそれは当てはまらない。というか、苺も蜜柑も林檎も葡萄もさくらんぼもパインも西瓜も桃も、ほとんど全てのフルーツはわたしにとっては甘い記憶などではない。
 苺、と聞いて最初に思うのは口の中が酸っぱくなることだ。梅干を想像するよりもずっと酸っぱい。どうしてだろう。たぶん、わたしが今まで食べてきた苺は全て酸っぱかったからだ。だからわたしはフルーツが嫌い。フルーツポンチなんて何がどう美味しいのか、怖くて食べられない。今ではフルーツを想像するたびに口が酸っぱくなってしまうので、なるだけ考えないようにしているほどだ。好きな果物は、ときかれても答えられないのだ。
 だから、わたしのことが好きです、なんつって告白してくる男子がなぜか最高級苺のパックをプレゼントしてくれても(そんなことする人は普通いないけれど ←普通いないから俺は特別だぜ、なんて思ってやってるのかも)わたしは口の中の酸味を想像してゲンナリしてしまう。
 絶対的に甘いフルーツは存在するだろうか。
 それに、世間一般に苺やさくらんぼが甘い果実の代表みたいに言われるのは、一粒が小さいからだ。あれが林檎みたいな大きさだったら誰も食べない。苺なんてぶつぶつがついててキモいし。
 …夏休みの自由課題にそんなことを考え続けた結果、わたしはひとつの答えを得た。
 たぶん、絶対的に甘い、あるいは酸っぱい記憶を伴わない果実は、梨だ。
 奇遇というかなんというか、梨は「なし」つまり「nothing」に通じるから、甘い甘い記憶は伴わないけれど酸っぱくもない。nothing makes me happy.
 だけど、とも思う。酸っぱい苺を甘い記憶に変えてしまうのは、甘い恋をしたときなのだろうか、と。たとえば苺をジュースになるまで口の中で溶かして、それを口移しし合うような。自分まで溶けてしまいそうな恋が、逆にフルーツと呼ばれているのだろうか、と。

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2004/08/24 (Tue) 覆面ライター

「それじゃあこれ、食事代っちゅうことで」
 とある高級料亭の一室。脂ぎった顔の初老の男は、懐から無造作に取り出した札束をテーブルに置き、指先ではじくように前に座る若者へ差し出した。若者はその金に動揺するでもなく、小さく頭を下げると見事な速さで札束を鞄にしまう。
「…来期はお願いします。オーナー」
「いやいや。ええんや。それより、わかっとるな?」
「はい。大丈夫です。テレビの会見にはちゃんとオーナーの云うとおりの言動を約束しますよ」
「そうか。それならええ。ささ、食べ食べ」
 テーブルいっぱいに並べられた料理。オーナーと呼ばれた男は鳥がつつくように少しずつ料理を食べると、「これが贅沢や」と言って笑った。若者は黙々と食べている。

「…待てい!」
 突如、静かな部屋に野太い男の声が響いた。すらり、とふすまが開けられて黒服たちが入ってくる。オーナーは彼らに合図し、警戒を強めるように促した。
「誰や!」オーナーは正面を向いたまま声を張り上げた。「大人しく出てこんかい!」
 ぐらぐら。がたん。
 天井が少し揺れたかと思うと、30センチほど一部がずれた。そこからするりと一人の男が降りてくる。黒服たちと同じような黒い背広に黒ネクタイ。少しのびた髪も真っ黒だ。目元だけを赤いバンダナで隠し、小さく開いた穴から目が覗いている。男は滑らかな動きで黒服たちに近づく。胸ポケットから銃を取り出させる暇も与えず、バンバンズバンと拳ひとつで全員をなぎ倒していった。
「…おまえ、何者や?」
 若者は鞄を抱えて部屋から出て行こうとしているのに対し、オーナーは微動だにしていない。まったく危機感を感じていない声で男に尋ねた。
「…お前たちのような悪を断罪する者」
 男もまた、落ち着いた表情と声で言った。
「ほうか…どこの新聞のモンや。雑誌か? ええか。いい加減なこと書いたら、明日にでもお前は魚の餌やぞ」
「貴様の罪、許されるものではない」
「…こしゃくな。小僧が…。わしを誰やと思っとるんや。泣く子も黙る狂人軍のオーナーやぞ」
「違うな」
「何やと?」
「今の貴様は、志(こころざし)を持つオーナーの一人ではない。ただの職権濫用…職権濫用(ショッカー)の一戦闘員に過ぎん! 俺は貴様らのような悪を、この手に持つペン1つでなぎ払う者…!」
「ほうか。貴様が業界で有名になっとるヤンチャもん、『覆面ライター』か?」
「自己紹介はいらんようだな。オーナーワダベン、覚悟しろ!」
 男がポーズを取ろうとした瞬間、背後から黒服が手足をがしと掴んだ。「…覚悟するのはお前の方やぞ。覆面ライター」
 にやりと笑ったオーナーはゆっくりと立ち上がり、じりじりと近づいた。男は両手足に力を入れるが、おそらくは力士上がりであろう巨体の黒服の力にはかなわない。
「…覆面、取らせてもらうぞ」
 オーナーの手がバンダナに近づく。
「最近、うちの新聞でも活躍しとるそうやないか。覆面とノーギャラで完成原稿を持ち込みに来る男がおるってなァ! その正体はどこの誰やろな?」
 ぎりぎりになってオーナーの手が止まる。
「どうや。わしの直下で働かんか。お前の云う職権濫用者、わしはよーくしっとるからなァ。新聞にも企業にも、スポーツにも政治屋にもぎょうさんおるで」
「…その全てが俺の敵だ。貴様のもとでなど誰が働くか!」
「くくく。ノーギャラじゃあ仕事もつまらんやろう? わし直属のライターになれば年に…ほうやなあ、億は稼げるで。お前の器量ならな」
「うるさい!」
 ライターは両腕を背後で掴まれた状態で思い切り前かがみになり、手を確保していた黒服ごとなぎ倒した。「その腐った性根、叩き直してくれる!」
 右手をぴんと伸ばし、左肩より少し上に突き出す。それをゆっくり回転させ、「へんしん!」の掛け声とともに左手に持っていた携帯電話の発信ボタンを押した。
「な、なんやそれは…?」
 思い切りジャンプしたライターはそのままとび蹴りをオーナーに食らわせ、また天井裏から逃げていった。へんしんとは「返信」であり、その瞬間オーナーの悪行、若手スポーツ選手青田刈りの賄賂シーンがメール送信されてしまったのだ!

 次の朝刊で、一面を飾ったのはワダベンオーナーの辞任表明だった。あるまじき行為を追及される前に自ら辞表を提出した、との報であった。その直前、マスコミ各社にこのスクープがメール送信されていたことは云うまでもない。

 その日の昼、少し髪の伸びた若者はバイク便で新聞社に写真原稿を届けに走っていた。彼の目は熱い光で漲っている。まだ、人は彼の本当の姿を知らない。暴力を一切使わず、人を傷つけることなく社会悪を断罪する記事を無償提供し続ける「21世紀最初のヒーロー」、覆面ライターのことを。

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2004/08/21 (Sat) 間違いマン

 彼は通称「間違いマン」。あらゆる選択肢で確実に間違いを選ぶという稀有な能力の持ち主だ。ジャンケンにはじまり、当たりつきの棒アイスや宝くじ、ギャンブルに至るまで全ての選択を間違ってしまう彼は、裏を返せば全ての間違いが分かるという超能力者だったのだが、しかし彼は間違え続けた。女子トイレに入ってしまうことなど茶飯事だから、彼を知る人はそんなことでは驚かない。
 先日、彼はジャンボ宝くじをどっさり買い込んできた。給料をつぎ込んで一発当ててやるという。彼を知る人たちは皆そのことを恐れ、こぞってナンバーズ系宝くじを買ってきた。数字を選んで自分で当てる宝くじだ。彼の話を聞けば、当たりそうもない数字が候補として選ばれた。誰もがその数字に一点張りした。
 結果、彼が捨てた数字が一等大当たりとなり、彼が買った宝くじの山は100円にすらならないゴミクズと化してしまった。彼は「またやっちまった」と落ち込む。しかし、彼の周りの人は皆笑顔だ。なぜなら、誰もがナンバーズで大当たりしていたからだ。
 そしてカンパとか同情費とか良く分からない理由で皆、彼に少しばかりのお金を分け与えた。それを集めると宝くじの2等くらいの額になったのだが、彼は遠慮を知らない男だったから「ありがとう」との一言で去って行った。
 人は云う。間違えることはしょうがないことで、悪いことではないと。
 さらに云う。間違いであっても「選ぶ」ことは重要だ。何も選ばない無難な生き方では、ひとつの失敗にすら立ち直れなくなる。間違えることは打たれ強くなることだと。
 そんなことは露知らず、間違えマンは今日も電車を乗り違えて奥多摩まで行っちゃって「やっちまった」と頭を抱えている。

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2004/08/20 (Fri) purpose of life

 わたしは説明くんなので、何にでも相当の理由をつけなければ生きていけない。心霊現象がなぜ起きるのかとか、戦争はなぜ終わらないのかとか、心はどこにあるのかとか、いつもわたしは考える。悲しいことに、わたしの持つ理由はわたしが自分で考え付いたものでなければ納得できないのだ。誰かが書いた本を読んで感動したとしても、感銘を受けたとしても、そこにわたしが納得できるだけの理由がなければわたしは満足できない…いや、満足とかそういうレベルではなくてわたしは生きてすらいけないのだ。
 だから考えるのである。
 どうして生きているのかと。
 こんな恥ずかしいこと、他人と真顔で語り合うべきじゃない。それは知っている。けれど、わたしには理由がつかないのだ。本当ならば誰でもいいから聞きたい。いったいどんな気持ちで毎日を送っているのか。なぜ生きているのか。

 人を殺しちゃいけません。自殺しちゃいけません。それはなぜ?
 経済的・倫理的・社会的・道徳的に説明はつくけれど、それは「生きる意味」の答えにはならない。わたしの人生がわたしだけのものではないことは知っている。でも、だから他人を尊重しすぎる必要もないことも知っている。

 昨日目を覚ましたら、また胃がひりひりした。もう病院のベッドではない。いつものわたしの部屋だ。はじめに思ったのは「またやっちゃったな」という後悔だった。
 薬を大量に飲み、ドキドキひりひりしてきた頃にロープで首をくくった。そこまでは覚えている。たぶんわたしは発見され、救急を経て帰ってきて寝かされていたのだろう。数年前に流行った「完全自殺マニュアル」は、わたしのような一般人に「生きる意味」という言葉・概念・存在があることを教えてくれた。そこには簡単にあらゆる死に方とその苦痛が書かれていて、意識を失っての首吊りは最も安楽死に近いものだとも書かれていた。それゆえ、自殺者の数は加速した、と報じられたことがあった。
 実際は、この有様である。
 自殺未遂者は失禁・射精・嘔吐・鬱血などの諸症状を引き起こしながら意識を失う。救急はまず彼らの…わたしたちの…胃を洗浄する。意識があればそれは地獄だろう。中身がからっぽになっても何度も繰り返される胃洗浄。飲まされ吐き出させられる。やがてまた意識を失う。次は尿管にカテーテルみたいなのを刺されてまた何かされている。腕は点滴だ。そうして体中に管を巻かれ、紐を取り付けられてわたしは目を覚ます。みっともないところ見られちゃったな、と思った。それは後悔だ。手は少し震えているけれど脳には後遺症は残っていないらしい。最悪だ。

 生きる意味を探すため、わたしはそれなりに努力・苦労・勉強・取材を怠らない。生きる意味がつまり「生きる目的」である人ならばそれは称えるべきである。「〇〇をするために生きる・頑張る」「〇〇をするまでは死ねない・死なない」そんな目的や目標、つまり生きる指針を持つ人は強く生きられるし、自殺などしない。わたしの気持ちは欠片も分からないだろう。しかしそうではない人が圧倒的大多数なのだ。「なんとなく生きている」「死んでいない」「そんなこと考える余裕もない」。これがほとんど。毎日仕事に行ってすべきことをこなしていればとりあえず生き残れるし、生きてさえいればそこそこの楽しみもある。死ぬほど辛いことはない。そんな感じの人。
 そしてわたしたちのような、自殺志願者。生きる意味が見出せない以上は生きていても無意味なのだ。ならば死ねばいいと思う。短絡的思考の持ち主。一言で云うと馬鹿。来週のジャンプは気になるけど、別に読めなくても構わない。連ドラや明日の食事や次のデートも気になるけれど、生きているのは苦痛そのもの。そんな人種だ。矛盾まみれなわたしたち。

 大切にしたいこと・もの・人。それがあるなら、生きる意味になるだろう。
 わたしの結論はとりあえずそこに至った。消去法で考えると意味など一生かかっても見出せないので、少しだけ肯定的に考えてみた。
 しかし結局は簡単なのだ。わたしたちのような馬鹿は、いつも言っている。目の前にいるはずの大切な人たちに、ではなく、理想の彼方にいる「自分を変えてくれる人」に向かって。
 たすけて、と。
 誰も助けてはくれない。それも知っている。だから思うのだ。ここでまた矛盾。助けられてばかりのわたしが、どうして他人を助けることができるだろう? けれど、助けたいと。いや、救いにはならないことも知っているけれど、ただ、わかってあげることはできるのだ。弱弱しい気持ちで、だけれど。

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2004/08/19 (Thu) スロウライフ

 僕がまだ夢を夢見る二十歳そこそこの若者だったとき、暇さえあれば旅に出ていた愛車のバイクが、僕の生きる意味だった。ように今は思う。
 これは現実逃避だと知りながら、かつて通った古い道をもう一度歩いてみた。その場所に来るのは何年ぶりだろう。思い出そうとすると古い恋も記憶に付き添ってくるので、あまり深くは考えないようにした。寝床代わりに使ったお寺や、食料を買いに行った駄菓子屋。飲み水を貰いに行ったお花屋さん。あの頃はエンジン音を響かせて走ったこの人通りの少ない道を、今は自分の足でゆっくりと歩きながら進んだ。1個20円のふがしを5個買っただけで食事を済ませた駄菓子屋のおばあさん。数年ぶりの僕を見て、兄ちゃんふがしいらんかえ、と声をかけてくれた。あのときはガソリン代にほとんどをあてていたけれど、今は電車代だ。少し奮発してラムネを買う。兄ちゃん暇だったらちょっと話してかんかえ。おばあさんはちょっと抜けた前歯を見せて笑った。いいですね、と僕も座り込む。客なんか来ない駄菓子屋。子供もいないこの町では、誰が来るのを待っているのだろう。
 何を話したかは、よく覚えていない。聞いていたようで、実際は僕が一方的に愚痴をこぼしていたのかもしれない。こんな田舎で暮らせたらいいな。そう言った気がする。子供がいなくても、結婚相手がいなくても、若い女の子がいなくても、犬と笑顔を絶やさない老人たちだけの町でも、それでもいいような気がした。明日からこの店をまかせた、とでも言ってくれれば、あるいはすぐに決心がついたかもしれない。
 生きるとか死ぬとか下らないことを考えすぎてあくせくしすぎていたな。ラムネを飲んで大きく息を吐く。愚痴も弱音も一気に吐いてやろう。一個10円とか20円のお菓子を売って生計を立てられるかというと、たぶん無理なのだ。このお婆さんはどうやって毎日を暮らしているのだろう。不思議に思った。もしかしてこの町自体が記憶の一部なのかもしれなくて、本当は廃墟を僕は一人で歩いているのかもしれなかった。
 ただ、暑かった。誰に会ったかも忘れた。無人駅で、誰にともなく頭を下げてから電車に乗り込む。電車の中にも人はいない。トトロでも出たかもしれない町が、まだこの国にあった…それが僕の心を、少し強くしてくれた気がする。というかそれは、諦めにも似ている気持ちだった。
 ダメならダメでいいや。何でもない僕でも、僕のままで行こう。東京で疲れたら、こんな小さい町で小さい駄菓子屋でもやればいい。氷を切ったり、紙芝居をしたり、麦藁帽子を編んだり。そういう人生を、ともすれば誰かの記憶にしかならないような、自分らしさなどどこにもないような人生を歩んだとしても、何かの意味はあると思えるようになった。何かをつなげる緩衝材のような生き方。緩くて自由で眠い生き方。そんなのが合っていると思う。ただ、スケッチブックに絵を描くだけなら東京じゃなくてもできる。どうでもいいや、っていう生き方。
 久しぶりに、誰にともなくても、お休みって言って眠れる気がした。いい夢が待っているような、暑くて寝苦しい夜に揺れる風鈴のような気休めにしかならない清涼みたいな気が。

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2004/08/15 (Sun) 花

「花なんて育てたってさ、すぐにダメになるじゃん」
 僕はそう言い続けて来たけれど、本当は認めたかった。けれどわからなかったのだ。毎日世話をして種から育てていったとしても、花がついてほんの数週間後には萎れて枯れて腐ってしまう。美しいのは一時期だけで、臭いも見た目もすぐに褪せてしまう。それでも彼女は花を育て続けた。僕に見せつけるでもなく、教えるでもなく、黙々と水と栄養をあげていた。
「いいの。わたしは花が好きだから」
 好きなら花屋で買ってきて眺めればいいじゃないか。何度もそう言った。けれど、彼女が買ってくるのはいつも種か球根だった。そこからじっくり育てるのが好きなのだろうか。

 何度か季節が過ぎ、彼女の部屋のベランダにあった花の種類も変わった。ヒマワリもだんだん力を失ってきているように見えた。次は何の花を育てる気だろう。どうせ枯れるのだ、育てるなら食べられる実をつけるものや野菜にすればいい。その方がありがたみがあるというものだ。
「ねえ、時代と国境と人種と宗教を越えて愛されるものって何だと思う?」
 彼女はふいに僕に問いかけた。僕はアイスコーヒーを飲んでいるところだった。そういやコーヒーも植物なんだっけな、と思った。そんなことは関係なかった。
「…音楽か絵画か物語」
 僕は答える。彼女は優しく笑って、違うよと返した。
「じゃあ何だって云うんだい?」
「お花だよ」
 照れながら彼女は言った。花? 何を馬鹿な。
「音楽も絵画も物語も数学も物理も動物も、人の心が介入する余地があるものは全て戦争の理由になってきたんだよ。でもね、お花だけは違うの。平和の象徴、ていうか平和そのものかもしんない。鳩なんか目じゃないよ」
「…そうかなあ」
 いまいち、譜に落ちない。しかし鳩は最近じゃ汚れた町の象徴みたいになっちゃってるし。眉間に皺を寄せている僕の鼻をちょんと突付いた彼女は「水と空気と光があれば育つし」と言ってベランダへ出た。手にはまた種の袋が。今度は何の種だろう?
「次は何を育てるんだい?」
 心なしか、外が暑くない。クーラーはかかっているけれど、暑さのピークが過ぎたのだろうということがわかった。季節がまた、変わろうとしている。僕の問いに、彼女はえへへへと笑って誤魔化した。花が咲いてのお楽しみ、というわけだ。
 花が世界を変えるとしたら、と僕は考える。
 …長い長い戦いになる。たぶん、花はずっと変わらない。人が変わっていく必要があるのだ。全ての人を優しさと穏やかさに包むための戦い。けれど、人間同士の争いなんかよりずっとずっと単純で早いに違いない。
「この種、少し俺も貰っていいかな」
 彼女は何も言わずに微笑んで、植木鉢と土と栄養剤を少し分けてくれた。

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2004/08/14 (Sat) 願望

 子供の頃に読んだ本のせいで、未だに考えていることがある。わたしが思うのは希望的観測に過ぎないのかもしれない。けれど、希望はいつでも持ちたいと思う。絶望を希望し切望するわたしが持つ唯一の矛盾。それが、その一点における希望的観測だ。

 次元はひとつ高次元の存在のひとつの断面でしかない。

 この言葉に、わたしはどれほど悩みどれほど救われてきただろう。いつも思うのだ。大人になった今、物理学者になればよかったと思うこともあるほどだ。夢にまで見る。わたしは高名な学者で、沢山の人たちにそのひとつのことを説明して拍手を受け取るのだ。誰にも証明できないそれを、わたしが証明することによって。
 希望的観測とは、この世界…わたしたちが生きるこの世界…が5次元以上、いや実質2次元の完全世界、で構成されていて欲しい、と思うことだ。ええいくそ、あのドラえもん野郎め! あの漫画のせいでわたしの人生は滅茶苦茶だ!
 1次元は点、2次元は面、3次元は立体。これは理解できる。
 問題はここ。4次元目の軸・単位は「時間」なのだ。つまり4次元とは、3次元の世界が過去・現在・未来と繋がっていること。5次元軸は「可能性」。時間軸を持つ4次元以下の世界が無限に存在し続ける世界。6次元軸は「全存在」。全ての可能性を含んだ選択肢が時間軸上に無限に入り組んだ世界。無限の可能性を含んだ世界を無限に内包する。
 そして、3次元までの空間認識を0次元時間だとすると、4次元は1次元時間、5次元は2次元時間、6次元は3次元時間イコール0次元世界。ならば7次元が1次元世界、8次元は2次元世界、9次元は3次元世界となり、10次元が1次元完全世界となる。
 このような説明を(次元の非対称性を考えれば26次元にまで跳ね上がるが)考えれば、わたしはどんどん悩みにはまっていくことになる。
 簡単にいうと、世界が4次元で出来ていれば全ての過去・現在・未来はひとつの軸で結ばれており、可能性は全て否定されてしまうのだ。未来が決まっているのだからわたしが悩むことさえも無意味になってしまう。しかし、世界が5次元以上だとすれば未来はひとつではない。過去もひとつではなかったということになるが。
 希望的観測。それは切なる願いだ。
 未来よ、お願いだから、無数に存在して。


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2004/08/13 (Fri) 超絶占い師

 超絶凄腕占い師・マリークラリネット和田の事務所前はいつも行列だ。
 彼女は恋愛から人生、将来も過去の因縁なんかも全てを占いで解決できる唯一の占い師だ。彼女が凄いのは、占い師界で初めて必殺技を持ったことだった。「神通裏記(じんつうりき)」と呼ばれる超絶占いで、人の顔と手相と血液型だけで全てが分かってしまうらしいのだ。生年月日、名前、特徴、特技、コンプレックス、悩み、将来、前世、天職、あらゆる答えをマリーは一瞬で手にする。使用するのは一冊のノートだ。神通裏記を使ったマリーはズババババッとノートの1ページにその人の全てを書いてしまう。しかしそれはマリー語なので、他の誰にも読めない。一説にはマリーはこの世の全てを書いたマリー帳というのを持っていて、世界の将来も株価の動向も全てを知っているのだという。現代のアカシックレコードというわけだ。それをめぐって凄いスパイたちの戦いが世界的に繰り広げられたらしいことも噂になっているが、そのこともまたマリーは予知していたのであっさり解決してしまったらしい。またこれも噂だが、某国のトップの将来を見てあげて一言アドバイスしただけで庶民が100億万兆回くらい人生を繰り返しても得られない報酬を得たらしい。それってぶっちゃけ、この国の借金を返して、というかこの国の全てをお買い上げしてもまだ大陸の数カ国を手に入れられる額らしい。
 そんなマリーだが、今日も女子中学生の恋愛相談なんかといったくだらない相談を受けている。1件1000円。なんていい人だ!

「…それで、状況はわかったわ。あなたはA組のYMくんにどうやってアタックしたらいいかを知りたいわけね」
「そうなんです!」
 中学生の少女は目をきらきらさせながらアドバイスを期待した。
「そうねえ」マリーはちらりと視線を外した。「ぶっちゃけ、YMくんはA組のKWさんと付き合ってるの。て云っても何もしてないわよ。YMくんはオクテだから、セクースどころかチューもしてないわ。だから安心ね。攻略法はひとつだけ。8月31日午前8時上野発の新幹線で二人で逃げなさい。それだけでOKよ。あなたとYMくんはそれで一生二人きりになるから」
「…あの、どういう意味ですか?」
「やってみりゃわかるわ」
「どうやって新幹線に乗るんですか?」
「さあ。とにかく理由つけて二人きりになって乗りなさい」
「あの、それって、あたしら二人で一生生きていかなきゃダメってことですか?」
「そうかもしんないわねえ」
「どこで?」
「さあ。北の国とかで」
「えー」
「選ぶのはあなたよ」
 その時!
「マリークラリネット! マリー帳をよこさんかいぃぃぃ!」
 黒服にグラサンの男達が銃を構えて事務所に乱入してきた。しかしマリーはぱちんと指を鳴らす。その瞬間床に穴が開き、男達はまっ逆さまに落ちていった。中学生はぽけんとした顔で恐る恐る言った。
「…すごいですね」
「ああ、うん。ちなみに彼ら、ブラジルまで落ちてったから。何ならあんたも行ってみる? ブラジル。運がよければ行けるし、悪かったら途中で圧死しちゃうけどねーケラケラ」
「…ありがとうございました」
 中学生は首をかしげながら事務所を後にした。

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2004/08/12 (Thu) flower

 道端に咲いている僕の知らない花を見るたびに、僕はもうちょっと頑張ろうかなと思う。僕が知らないだけでその花には名前があるし、多少なりとも歴史があるはずだった。先日、新装オープンという理由で花屋さんがくばっていた小さな植木鉢からちょんちょんと生えていた草が、今日の夕方帰ってきたら小さく白い花がついていた。こいつの生命力ってすごいな。僕は素直にそう思った。
 日課は2ちゃんのメンヘル板を舐めるように読みまわすことから始まる。午前五時起床、1時間2ちゃん見て30分ウォーキングだ。昔はラジオ体操やってた小さい公園には、今は朝も昼も人はいない。帰ってきてからはシャワーして着替えて食事してコンビニ行ってジャンプとか雑誌読んでまた帰ってきて支度して、今度は図書館へ行く。ついたときは午前10時ちょい前。スタバでアイスコーヒー(ショート)を買って飲んで駅の周りを一周してまた図書館に来た頃には空いているので入る。それから夕方までずっと本を読んでいる。
「あんたなんか一日中遊んでるだけじゃん!」
 そう、言われるのが、辛くて。
 実際に僕は毎日図書館行って本読んでるだけなんだけど、それが何かの解決になるかなと思っての行動なのだ。先日、やっと医者から診断書を貰った。鬱だ。けれどそれは精神障害ではないから、社会的な保障も出ないし仕事をしない理由にはならない。じゃあやっぱ僕は死ねばいいんじゃないかな、なんて思っている毎日で、僕の一番親しい人は言った。毎日言ったのだ。
 あんたなんか、生きてるだけ、無駄なのよ。
 毎日、何考えて、生きてんの。
 どうして人と同じことできないの。
 どうして頑張らないの。

 どうしてだろうね。僕は死にたいと思ったとき、空と山と海と花に訊ねてみる。もちろん答えなんてくれるわけはないけれど、それらの在り方がもしかしてヒントにはなるんじゃないかと思った。
 ヒマワリとコスモスの中間の季節。暑い季節だ。こんな毎日で、僕はどうやって生きていこうと真剣に悩む。答えはたぶん、僕が死んでしまうことなのだろう。子供の頃からずっと言い続けていた「自殺だけは絶対にダメだよ」の理由が、最近になって、わからなくなった。
 もしかしてそこに救いがあれば、ダメじゃないのかもしれない。

 空と山と海と花とは別に、音楽と物語と言葉も僕にヒントをくれる。
 もう古い歌に分類されるのだろう、昔、誰かがこう唄った歌があった。
 『一人で生きていこう。
  誰にも頼らないで。
  
  それが出来るなら、花は枯れない』

 それだけヒントがあれば十分なんだけど、ただひとつ、贅沢な僕はあとたったひとつだけヒントを求めるのだ。それは空でも山でも海でも花でも音楽でも物語でも言葉でもなく、人だ。人間だった。けれど、どうしてかな、もしかしたらそれは当然かもしれないけれど、僕の周りにいる人は皆、僕のことを無価値で死んだ方がいい人間だと連呼する。朝起きたときから夜寝る前まで。あるいは寝ている間もずっと。
 僕が間違っているのだろうか。生きることに意味を持たない僕は無価値だから本当に死んだ方がいいのだろうか。それで皆が喜ぶなら、僕はたぶん不要なのだ。死のう。けれど、人以外の全ての存在は、僕のこのクソちんけな人生にさえ、意味を与えてくれそうな気にさせるのだ。だから僕は悩む。誰が間違っているのだろう、と。

 "Into the blue"と名付けられた真っ白いトンネルは、まだ入り口が見えている。僕の言葉はまだまだ少ない。スニーカーはもう真っ黒に汚れてくたびれてしまったけれど。


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2004/08/11 (Wed) ハッピーライフ

 幸せになろうよ、なんて彼が云うもんだからビシビシビシ、びんたを3発くれてやった。
 なんてひどい女だとか云ってぴゅーっと駆け出したスーツ姿の彼の首を引っ掴んでそのまま公園の噴水に二人してダイブ。びしゃーん。キャー。あたしらびしょ濡れ!
 何すんだこのやろう! って彼はまた怒鳴ったけど、そんなこと知るかーって勢いで水をビシビシビシビシ、今度は4回も顔面にかけてやった。髪型が台無し? そんなん知るかっての。あたしは化粧が台無しよ!
 で、二人して真夜中の公園でびしょ濡れになっているところにお巡りさんがチリリンチリリンチリリンリンと軽快なベルを鳴らしながらやってきてあたしたちを見つけて「何やっとんねキミらは!」ってまた怒鳴るもんだから口に含んだ水をぶしーって鉄砲魚のごとく顔めがけてかけてやると、「やめねやめね!」とアホみたいな顔して手をぶんぶん振り回してまた自転車に乗って逃げちゃったりなんかして。いいかげん彼も楽しくなってきたみたいで、背広が濡れるのももう知るかーって一言叫んだかと思ったらあたしの腰をぐいとかかえて投げっぱなしジャーマンくれて、あたしは髪型や化粧どころかオキニのワンピースも勝負下着も全部濡れちゃって、しょうがないからドロップキックで彼も同じようにずぶ濡れにしてあげた。
 ってそんな感じで小一時間公園で遊んだ後、さてさっきの続きにしようかってあたしが向き直っていきなりキスしてみたらしどろもどろになった彼は「な、何すんの」ってなぜか弱気。なによあんたさっきプロポーズしてきたくせに。って云うと照れながら「うん」だって。
 しょうがないからお尻をもう一回蹴っ飛ばして笑ってやった。
 なんであたしが「幸せになろうよ」で怒ったかっていうとね、幸せってね、「なる」とか「ならない」とかのレベルじゃなくて、こうしているときもずぶ濡れんなってはしゃいでるときもそうなんだっていう状況なんだよって教えてあげたかったから。
 だからあたしの答えは一言。もう幸せだよ。

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2004/08/10 (Tue) Life is ...

 お盆を前にして、死にたいなんて言ってたら死んだ人に失礼かもしれない、などと考えながらもやっぱり彼は言った。死にたいと。理屈では分かっていた。死にたいなんて言っちゃダメなのだ。それは人を殺してはいけない、という理屈とほとんど同じで、説明はできないけどとにかくダメなのことなのだ。社会的・倫理的・経済的に説明はつくけれど納得はできないだろう。
「メンヘル者が云う『死にたい』って、死にたくないよ助けてくれよ誰か俺を認めてくれよ、の意味なんだってさ。笑っちゃうよな」
 そう言って彼は笑った。人と話すことはできるし、笑うこともできる。仕事はできないけれど、世間に対してごく普通に接することはできているように見えた。少なくとも、私には。
「本当は俺だって死にたいわけじゃないよ。たぶんね。全てを諦められるわけでもない。でもね、もう世間のことに興味がないんだよ。食欲もないし性欲もねえんだ。そのくせアホみたいに眠りつづけることだけはできてる。最低だよな。笑うしかない状況だよ。死にたいって言ってるんなら死んだつもりで生きることを頑張ってみろよとか云う奴がいるけど、それも違うと思うんだ。それができないから死にたいんだ。理由なんてないよ。なんだか最近、俺の中でちょっとずつ俺の構成要素が崩れていく感じがするんだ。アホで暗いことしか考えられなくなってる。風邪薬を混ぜて飲んだら死ねるかなとかさ。結局2,3日寝て過ごすだけなんだけどね」
 どう答えていいかわからなかった。たぶん彼には、私が云っても届かないのだ。私にはきみが必要なんだよ、そう言ってもわかってもらえないだろう。「あそう」くらいで終わるかもしれない。
 私にはどうすることもできない。かといって他の人に彼をどうにかできるわけではない。たぶん彼は、現状を生きる若者たちの代表みたいなものだろうと漠然と思う。死ぬことは安易に考えられるし、鬱にもはまっちゃう。けれど死のうとしても死に切れない。生活はできても仕事ができない。どうしてか。答えは単純だった。泣いている私に彼は言った。さも面倒くさそうに。
「今はさ、死ぬことには理由はないけど生きることに理由をもたなくちゃやってけない時代なんだよ。昔とは正反対なんだ」
 好きなことをやって、できることをして、生きるための仕事につく。仕事はつまり好きなことやしたいことの延長じゃなきゃ意味がない。好きな人といても、明日食っていくお金がなければ意味がないのと同じように。
「だって、俺が死んでも何も変わらないだろう? 世界は」
 そうかもしれない。けど、私には変わるんだよ。変わり過ぎるの。
「それはお前が決めることだよ。俺はたとえお前が死んだとしても、死ぬって言ったとしても何もしてやれない。その行動を俺のせいだって思ってまた鬱にはまるだけさ」
 彼がいなくても歴史は変わらない。けど、彼がいれば歴史は変わりうる。それを伝えても、無駄だった。と、思う。
「生きるための目標がないんだ。だから死んでるのと同じ。死にたいって言ってるのは、こんな無為な毎日から抜け出したいからだよ。ああ、子供のときは楽だった。生きてようが死んでようが明日は来たんだからな」
 彼の言っていることは正直よくわからなかったけれど、たぶん、すべてのことに「意味」を必要としていた、というところなんだろう。意味がなければ生きることは無為だ、と。
 私は彼がいてくれるだけで意味があると思えるのに。寝ているだけでも、食べてるだけでも、鬱々として泣いているだけでも、私は今日と明日くらいはせめて生きてやろうって思えるのに。
「俺は何も持ってないから。なあ、俺に構うのをやめろよ。そうしたら楽になる。おまえも泣かなくて済むんだ」
 たぶん、私が彼の前から消えれば彼はまた死を選ぶだろう。けれどたぶん死に切れない。だとしたら、じゃあどうすればいいのかな。
「ひとつだけ、思うことがあるんだ。それは俺や俺と同じような境遇の人全部を救える唯一の方法かもしれない。けど、ひどくリスキーなんだ」
 味が分からないと言っていた辛いコーヒーを何の抵抗もなく飲み、彼は続けた。
「高齢化社会では、50代以上の全人口が持つ貯蓄額がそれ以下の年齢の全ての人の貯蓄額の数倍あるという。だから老人が俺たちに投資をして、俺たちが意味を持てるようなシステムを作りたいと思ってる。あと一歩なのに、その完成形が浮かばないんだ」
 突然彼が口にしたのは、高齢化社会と若者が抱える問題を一発で解決する方法だった。私には想像もつかない。
「真の循環型社会をつくるための最後のポイント。それをさえつかめれば、俺は死なないですむのかもしれない。…おまえも傷つけずに」
 だけど私は知っていた。彼が壮大なプロジェクトを考えている間にも、明日は近づいてくるのだ。貯金が尽きれば彼は家も食も失う。それは近い。世界を変えることができる彼の案には、時間と資本が圧倒的に足りなさ過ぎるのだ。だから私は思う。彼がたとえそれを完成させたとしても、彼は死んでしまうのだろうと。
「誰に勝つために、人は、戦うんだろうな」
 ぽつりと彼が漏らした。人は誰に負けるのが怖いのだろう。別に他人に負けても自分は消えないことを知っているはずなのに。死にたくない、という言葉の裏返しなのだろうか。

 私は思う。自分が馬鹿でよかったと。彼と同じレベルでもしも私が話せたら、たぶん私も生きることに絶望してしまっていたことだろう。


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2004/08/09 (Mon) 線香花火

 記念日は何のためにあるのだろう。ときどき考える。
 私が思うのは、「たぶんその日を忘れないために」だ。人は何もかもを忘れてしまう。だから記念日が必要なのだろう。結婚記念日、国民の休日、お盆、なんだかんだ…って記念日を作って祝いたがる。日本はアメリカに次いで記念という概念が好きらしい。アメリカナイズされているという証拠だろうか。でも逆に、終戦記念日、原爆記念日、あるいは命日やなんかも記念日として深く残っている。記念日カレンダーというのがあって、そこには取ってつけたかのようなわざとらしい記念日が沢山載っている。海の日、山の日、肉の日とか卵の日まで。スーパーの特売かっての。
 でも。
 本当に悲しいことや嬉しいことは、記念するまでもなく私の心に残る。たとえば私が生まれた日。初めて愛を交わした日。深く傷つけられた日。近しい人を失った日も。
 忘れたいと思う辛いことが忘れられないのは、その日が記念だからなのだろうか。でも、その日を通り過ぎてから思い出す記念日もある。大好きだった人の誕生日や、親しかった友人の命日。夏の夜は不思議で、ふいにそんな切ない日々を思い出す。
 かつて通り過ぎた人たち。焦がれた人たち。今、みんな、幸せかな?
 どうか私と関わったことが人生の汚点であることがないように祈ります。もう、連絡もできないけれど。
 線香花火には何の思い出も思い入れもないはずなのに、どうしてかな、昔のことを思い出して涙してしまう。夏の夜が思い出にふけるに丁度いいのは、夏自体が一年の中であまりにも早く過ぎてしまうからだろう。刹那すぎるから、切ない思い出が沁みてくるのだ。じわじわ、じわじわと。

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2004/08/06 (Fri) わんこいんしょっぷ

 シオドメの新スポットのワンコインショップは、100円ショップかと思ったら普通に1980円のTシャツとか売ってるしどこがワンコインなのか全然わかんなかった。もしかして2000円札をワンコインだと勝手に解釈しているのだろうか。だとしたらここの店長とかオーナーはアホだと考えられる。なんて思いながら新しい店内の匂いをくんすかやりながらちょっと見てみると、なるほどそこはワンコインショップ。物の値段はともかく、ここは客足が途絶えないだろうな、だとしたら店長とかオーナーは目の付け所がいいな、と納得した。
 広いフロアに様々なジャンルの商品が置いてあり、ショップの入り口もいくつかある。その中で一番お洒落な角度にカフェも設置されていた。ワンコインカフェ。ついでにいうとワンコインレストランやワンコイン書店があり、広い意味でその辺り一帯がワンコインだった。
 犬好きの私にはたまらないスポットである。あらゆる店舗に犬がいる。大小さまざまな犬たちがヘラヘラ舌を出しながら私に微笑みかける。
 わんこ・in・ショップ。一匹くらい持って帰ってもいいかな。 

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2004/08/04 (Wed) happy days

 パチンコから帰ってくると、どうやら髪や服が煙草臭くなっていることに気付いた。すぐにシャワーを浴びて買ってきたばかりのシャンプーでわしわしと洗ったけれど、臭いが取れた気がしない。しょうがないのでそれは放っておいて、次は服を洗濯することにした。どこで付いたのか、おへそのあたりの染みが取れない。イライラ。イライラ。それも放っておいて、爪が伸びているのが気になったので爪を切ることにした。切っているうちに足の爪も気になってきた。足の爪を切るとまた臭かった。イライラ。すると今度は耳かきがしたくなった。ごろんと横になってみたけれど、誰もわたしの耳かきなんてしてくれない。わたしが頭を乗っける膝なんてどこにもない。イライラ。
 ふいに走り出したい衝動にかられ、海へ向かった。電車とバスを乗り継いで二時間もかかった。着いた頃には日は落ちていた。しょうがないので思い切り走ってみた。海岸はどこまでも続く。このまま県境をいくつも越えて日本一周が出来るかな、と思ったところで派手に転んだ。海岸は川で分断され、どう考えても向こう側へ行けない。イライラ。わたしを見ていた地元のサーファーとチャラい若造はゲラゲラ笑う。ゲラゲラ。死ね!
 …とぼとぼ帰ってきて、地元の駅。煙草臭い頭、脂臭い顔、海臭いTシャツ、砂臭いジーパン、わたしはもう最低ってくらい臭くて、もう惨めで惨めでどうしようもなかった。泣いたら涙臭くなっちゃうんだろうか。
 てくてく歩いていると、野良犬が近づいてきた。あれ。野良じゃなさそうだ。首輪もしている
小型犬。ポメラニアンだ。わたしの方にちょんちょん歩いてくる。手を伸ばすと、くんくんかいだ。どうせお前もわたしのことを臭いって思うんでしょ?
 犬はへへへへへと嬉しそうな顔で、わたしの手と足と顔を舐めた。
 いやーん、と笑いながらもわたしは声を上げて泣いた。初めて認められた気がして。

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2004/08/03 (Tue) lights brought the future

 好きな人と一緒にベッドに入っているのに、抱き合っているのに、わたしは悲しくて泣けてくる。次に会えるのはいつだろう、そんなことを思っているとき。もっとキスしたいのに返してくれないとき。仕事に疲れすぎて眠気が襲い掛かってくるとき。わたしの頭を撫でてくれている彼の顔は壁の方を向いていることに気付いたとき。
 わがままばっかり言ってどうしようもない自分が大嫌いになって、深夜だというのに帰ろうかと思ってしまう。じゃなきゃそのまま眠ってしまおうかと。とにかくこんな時間なんて最初からなければよかったのに、ぐらいのことを思う。思って、後悔する。ふと思いついた遠い過去のこと。もしも過去の選択肢をひとつ違えていたら、今とは違う現実があったのだろうか。今も幸せだけれど、もっと幸せになれる現在、なんてものがあったのだろうか。
 そんなことを思いながら毎日を過ごしていると、どうやら幸せは遠ざかっていくようだ。結局わたしは自分の理想や夢を追うあまり、好きな人の欠点にばかり目が行ってしまう。新しく良い部分を見つけても、それ以上に悪い部分を見つけてしまう。そしてそれを受け止められない。
 わたしなんて居ないほうがたぶん世の中のためなんだよ、友達に愚痴をこぼす。そのたびにまた泣けてくる。どこかにわたしを永遠に満たしてくれる愛や幸せがあるのだろうか。友達は提案してくれて、わたしは単純に決意する。
「わらしべ長者のやり方よ。最初は身近なちっちゃいものでいいの。それを他の人にあげて、そういうことを順々巡りで繰り返して、いつか自分のもとに帰ってきたときにそれがおっきくなってるのを願うの」
 曰く、最近の若い子の間で流行っているのだそうだ。
 というわけでわたしはメールを打ちまくった。
『これは幸せのチェーンメールです。このメールを見た人は三日以内に二人に転送しましょう。沢山のチェーンが繋がるほどあなたは幸せになります』

 ドキドキしながらメールを打った後は、携帯の電源を切って数日放っておいた。
 電源を入れたとき、わたしが見たのはわたしが送ったメールがそのまま返信された二通だった。チェーンは一繋がりもしないまま途切れてしまった。あーあ。

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2004/08/02 (Mon) 世界はトリビアで出来ている。

 トリビア:trivia(英)、くだらないこと・取るに足らないこと。

「何のために勉強してんのかわかんねーよ!」と、彼は受験勉強をほっぽり出して海かどこかへ行ってしまった。七歳年上の彼の兄はバリバリの営業マンで、受験時代の勉強が人生においてこれほど役立った毎日はないと思いながら生きている。微分積分、化学反応式、古文漢文、世界の歴史、ニュートンの公式、あらゆる知識が25歳というひとつの節目を迎えたことで一点に集中し、開花しようとしていた。
 人生に役に立つ勉強など学校では教えてくれない。そのことを学校は教えているのだ。つまり受験勉強とは全てが人生において役に立たないものであり、大人になったら何にもならない無駄な知識でしかない。しかし、昨今は雑学やトリビア、薀蓄といったジャンルの「無駄知識」を持つ者が頭のよい者として扱われるようになってきた。それはなぜか? 簡単である。21世紀、誰もがそろそろ「情報は有用である」と思い始めてきたからだ。
 士農工商の時代が終わり、貴族華族士族の時代が終わり、軍人の時代が終わり、サラリーマンの時代が終わった。これから始まるのは情報を持つ者の時代である。それをどんな名詞で呼べばいいのかはまだ見えていない。しかし、彼の兄は知っている。あらゆる無駄な知識は、ある一点においてのみ有効である、と。
 そもそも受験は何のために存在するのだろう。小学中学高校と12年間も続けた勉強は何の役に立つのだろう。大学以降の60年近い人生においてどれほどの意味を持つだろう。そこに疑問を持つ受験生は少なくない。しかし答えはたった一つだった。
 人間同士のコミュニケーション、である。
 世の中には様々な人がいる。学生の間はそれに気付かないことが多いだろう。周りを見れば誰も同じようなレベルの人間だし、ぶっ飛んだ天才やぶっ飛んだ阿呆もなかなか目にすることはできないだろう。プータローやホームレスや億万長者の生活をリアルに感じることもないはずだ。精神を病んでいる者、人の上に立つ者、死を思う者、犬と暮らす者、全ての人と会話を成立させ、笑いあい、理解を求めあうこと。そのきっかけを――あくまできっかけに過ぎないのだけれども ――作り出すのがつまり、生きていく上で無駄な知識である。
 男女間においてもそれは重要で、「あの人とはどんな話題が合うだろう」「どんなことが好きなのかな」「どんな台詞でくどけばいいのかな」それを考えることも無駄知識の集積によって可能性が広がっていく。
 情報の時代、求められるのはコミュニケーション能力。その礎になるのはあくまでも「無駄」な知識。情報を効率よく集めるためには、沢山の人と知り合えばいい。そのために、沢山の人に会う話題を知っておけばいい。そのための勉強であり、人生なのだ。
 勉強が大嫌いな受験生がいたら、彼はこう教えるだろう。ひとつの教科のひとつの分野でいいから、知識を究めてみろと。全国模試1位の奴も叶わない、一点集中の天才になってみろ。別にそれが受験に関わるものでなくとも。勉強でなくとも。
 そうして究めた知識は、推薦とか一芸入試には物凄く強いから。

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2004/08/01 (Sun) 物語る人

 意味は、何にだって必要だ。
 逆に云うと、意味がなければ何の必要も必然もないということだ。
 若者が「やりたい仕事・好きなことが見つからない」と云うのは「命がけでやるべき仕事」を欲している証拠だし、その裏返しは「仕事に必要とされて生きがいが欲しい」と願うことで、それはつまり「生きる意味」を欲しているのと同じなのだ。
 かつて音楽家を目指していたとき、一生かかっても絶対勝てない・追いつかないと思える偉人の音楽に触れ、僕はその夢をあっさり捨てた。たぶんその人なら僕が思っている音楽を奏でてくれるだろう。僕よりもはるかに素晴らしいスケールで。

 何度も手首を切った。腕も切った。風邪薬を数種類混ぜて瓶ごと一気飲みした。煙草をすりつぶしたものを炭酸水で溶かして飲んだり注射したりした。腕をしびれさせて感覚がなくなったところでアイスピックで刺した。鏡を見ながら髪を一本一本、1200まで数えながら抜いた。耳掻きを思い切り深く差し込んだ。59時間本を読み続けた。塩を1キロ飲み込んだ。虫を手で握りつぶした。マンションの三階から飛んでみた。膝から顔を出した骨をハンマーで叩いた。
 いろんなことをして自分を追い込んだ。そのたび、自分は何もしていない、何も残していないと思った。それは後悔というか懺悔というか心残りというか、とにかくそういう感情で、やはり何かをしなければダメだと思いなおした。生きる意味、あるいは僕が生きた意味、証、そういうものを残しておかなければ死に切れないんじゃないかと思った。
 そして物語を書き始めたとき、中井拓志と伊坂幸太郎と舞城王太郎の物語が頭をよぎる。絶対に彼らには勝てない。無理。絶対無理。そう思った。またやめようとして、死のうとした。奇をてらったものばかり書いて威張っている最低な自分を絞め殺してやろうと思った。停まっていた車に紐をひっかけてベルトに巻きつけ、300メートルほど引きずられてまた後悔。まだ僕は僕の証を残してないぞ。
 僕が書かなければいけない物語、僕が生きた証拠、それはどこにあるのだろう? 考え続けた。64時間起き続けた。新記録。コーヒーは瓶で9本飲み干していた。

 特別な物語は書けないことに気付いた。
 だったら奇をてらっていない、素朴な物語を残そう。そう思った。3年前に書いた短編が僕のルーツ。もう一度始めてみようと思った。そのとき、またイメージが溢れてきた。やめてくれ、止まってくれ、お前たちを全部書き落とすには時間が足りないんだよ。
「時間なんて関係ねえよ、一秒も無駄にすんな!」
 物語たちが背を押す。素朴な物語なら、いくらでも書ける。こいつらを書ききったら死んでやろうと思う。それは何十年後になるかは分からないけれど。

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