--/--/-- (--) スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |


2004/09/30 (Thu) 正直者

 正直に生きていきたいと常々思っている。けれど、それができないのが普通なのだ。
 …久しぶりに手紙なんかを書こうと思い机に向かうと、沢山の言葉が溢れてくる。その中のどれを選んで表現すればいいだろう。素直になれば言いたいことだけを絞れるかも、なんて思っていたけれどそういうわけでもないらしい。
 正直って何だろう? ふと思う。
 すぐに答えを思いつく。
「好きな人に好きと言うこと」呟いて、わたしはその答えは少し違うと思う。子供ならともかく、大人になれば正直の意味が違ってくる。正直に生きることなど無理なのだ。少なくとも、わたしは。だからわたしが思うその言葉の意味とは、たぶん、
「嫌いな人に嫌いと言うこと」
 …今度は少し笑えた。それってすごく勇気がいることだ。
 でも、と思い立ってわたしはペンを走らせる。
 思いが手紙に、少しずつ描かれていく。出すことのない手紙。一番正直じゃないのはわたしだ。勇気のかけらもないんだから。

スポンサーサイト

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/23 (Thu) 忘れ物

 僕の生まれ育った町は、ずっと昔にダムに沈んだ。
 当時、それを悲しいとは思わなかった。市から補助金が出て、よその町で充分な生活ができるくらいのお金をもらえていたのは知っていた。子供だった僕は知らない町で暮らせることが楽しくて、早くこの小さい町を出て行きたいと思っていた。

「忘れ物を――…」
 ときどき、同じ夢を見る。小学生の僕は、学校に行くのに忘れ物をして、走って家まで取りに帰るのだが、いざ家についてみると何を忘れたのかを忘れていて、そのまま学校に戻ると先生に怒られるというオチも意味もない夢だ。ただ、その僕は、忘れてしまったものを必死になって探すのだ。泣きながら部屋中をひっくり返し、台所も探し回り、涙でくしゃくしゃになって「やっぱり見つからない」と諦める。何も探していないことは知っているし、僕は優等生だったから忘れ物などしたことがないからその夢自体が作り話であることはわかっているのに、それでも僕は必死になって泣きながら探すのだ。
 都会暮らしに慣れてしまってから僕が都会人だと気付いたのは、ここ数年のことだった。社会人になって仕事を続けていくうちに、田舎で暮らしたいなんて思うようになった。三十路手前にしてちょっと疲れているのかな、などと思ったけれど、電車の中吊り広告で見かける田舎暮らしの豊かそうな響きは僕を捉えて離さない。でも、田舎には便利な生活も何もないのだ。生きていけないだろう。子供ならいざ知らず、畑仕事なんかして食っていける自信もない。楽しみが必要なのだ。

 また、同じ夢を見て目が覚める。何かを思い出しかけて結局何も思い出せない夢。これを見るようになったのはいつからだろう? そもそも、どうしてそれを「夢」と呼ぶのだろう。僕の疑問はそこにある。子供が語る「将来サッカー選手になりたい」というイメージと、寝ているときに見る脳の情動。それを同じ言葉で括るなんて無茶なのだ。しかし、どこかに繋がっているものがあるのだろうか。あるとすればそれは…理想、か。

 田舎で暮らしたいと思うことも、忘れ物が気になって泣いていることも、もしかするとそれと同じようなものなのかもしれない。僕が大切にしていたもの、あるいは大切にしたいことがそれなのかもしれない。…そう気付いたのは、やっぱり夢を見て目が覚めた後だった。涙の跡があった。
 休日、海を見にいきたい。そう思った僕は、代わりにあのダムへ行こうと決めた。学生の頃に取得したダイビングの資格ももしかしたらその日のためにあるのかもしれない。
 次の休み、僕は故郷の水の下へ潜る。
 何かを忘れているのだ。大切なものを、きっと、沈めちゃったのだ。遠い昔に。

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/20 (Mon) ゴッド ブレス ユー

 死んだ僕は、今日から神様になるのだという。少しずつ光を貯めて大きくなって、やがて巨大な光そのものになったとき、僕は空の高くに沈んでいく。そのとき僕の意思はおそらくなくなり、もっと大きなものの一部か、あるいはすごく小さいものとして、形を変えるのだろう。どちらにしても僕にはひとつだけ分かっていた。
 もう僕は生き返ることはできないのだ。
 つまらない日常の繰り返しだったけれど、好きな人もいなかったけれど、それでも僕は「僕」でいたかった、と今になって思った。

「あなたはこれから光を集めなければいけないのよ」
 いつの間にか訪れていた門の前で、きれいな女の人に言われた。涙が出た。けれど、目からは何も流れていなかった。女の人は続ける。
「これからはもう、悲しいとか嬉しいといった感情は心の中だけのものになるわ。肉体を失ったから、涙を流すこともないし血を流すこともない。欲望に飲まれる穢れた身体はない。飽食や強欲からあなたは解放されたの。だから善い行いを繰り返し、清い光を集めてもっと大きな光になりなさい」
 逆らうことはおそらく出来なさそうだった。僕には、反抗心という言葉さえも存在しなかったのだ。これからはきっと、彼女のような「上位」の存在から言われたことをひたすら続けていくしかできないのだろう。広義の神様、であるところの「光」になった僕だったけれど、どうしてだろう、悲しくてたまらなかった。
 でも、涙も出ない。
 それならこの感情には何と名づければよいのだろう。僕は、そしてとりとめのない旅に出ることになった。葬儀を挙げてくれている大切「だった」人たちや、涙を流してくれる愛して「くれていた」人たちには感謝することさえなく、ただ、任務を遂行するために。


 どんなふうに生きれたら僕は幸せだったろう、地上に降りてきてから数週間僕は考えた。けれど普通の人の気持ちが分からなくなっていた僕には、それは分かりそうになかった。せかせかと生きる人たちを眺めながら何をすべきかを考える。善い行い? それって何だ? 何が善くて何が悪いのか、それも分からなくなりそうだった。しかしひとつだけ基準があるとすれば、自分の心を律して生きることは少なくとも悪くはない、というような意味の考え方だった。とりあえず僕はそれに従うことにする。
 僕が今思うことは、もしかすると大きな「光」の考えの一部なのかもしれない。だとすれば僕にはもう意味もない。

 地上の人たちは誰も彼もうつむいて歩いていた。上から眺めてみて初めて分かる。泣いている人ほど下を向くのだ。昔、上を向いて歩こうとうたった歌があったような気がしたけれどそんなのはもう通用しないのかもしれない。とにかく、上を向いている人などいなかった。誰も空など気にしてはいないのだ。ときどき見上げる人はいたけれど、彼らは自分の上空を見ない。ずっと遠くにある太陽や月を眺めて思いを馳せるだけで、自分の上にどんな空があるのかを知ろうともしなかった。

「きみらが知らない素晴らしい世界へ連れて行ってやる。上を向けよ」
 僕はそう思った。けれど、誰も空を…光を…、見上げようとはしなかった。






 日曜は、あえて早起きして駅前へ行く。いつからかそれがわたしの習慣になっていた。休日でも背広を着てタイを締めている人。前日から酔っ払って切符売り場の前で転がっている人。ダンスの練習をしている人。演説をしている人。待ち合わせをしている人。駅前のコンコースに並んでいるベンチのひとつに座って、とりとめもなく彼らを眺める。飽きることはない。世の中には沢山の人がいて、その中にわたしもいるのだと確認できる。それがなぜかわたしの元気になるのだ。沢山の人がいること、それ自体がわたしにとって癒しだった。彼らはわたしに何もしないし、わたしも彼らには何もしてあげられないけれど。

「きみらが知らない素晴らしい世界へ連れて行ってやる。上を向けよ」

 ふと、声が聞こえた気がした。あたりを見回しても誰もそんな大きな声を発してはいない。というより、いきなり耳の奥で響いたような声だった。そういえば、歩く人は隣に居る人にしか聴こえないような篭った声で喋り、笑っている。大きな声で自分を云う人などいない。…けれど、それはそれだ。都会では当然なのかもしれなかった。
 午前10時を少し回った。暑くなってくる。お店が開き、人が増える。犬を連れている人は少なくなって、元気な中高生がケラケラ笑いながら集団でどこかへ行く。毎日パソコンに向き合って小さい字を打ち続けているわたしは、自分の居場所を見失いそうになる。
 …素晴らしい世界。今度はわたしが呟いた。そんなものがあるとして、そこへ行ける切符を手にしたとして、わたしは行きたいと思うだろうか。不意に首をぐいんと後ろに倒して息を吐いてみた。視界がゆっくりと180度周り、逆さまになったビルが目に入った。なんとかコンタクト、という大きな看板が見えた。あの中でも今、きっと沢山の人たちがせかせかと商売をしたりされたりしているのだろう。
 首をちょいと戻して、今度は視線が真上を向いた。そういえば、普段から上を向いて歩いている人などいるのだろうか。などと馬鹿なことを思う。上を向いていたらつまずいて転んでしまうではないか。しかも、今は誰も転んでいたとしても気付かないだろう。転んだわたしを踏み越えながら人は進む。行き先は知らないけど。他人に踏まれたくないから、わたしは上を向かないのだ。上に素晴らしい世界があったとしても、わたしは前しか見ない。目が悪くなるほどこらしても何も見えないことも知っているけれど。

 手を伸ばせば素晴らしい世界へ連れて行ってくれそうな気がしてきた。この気持ちは何だろう。神様を感じる、という感情なのかもしれない。でも、わたしは少し苦笑いしてこの気持ちを捨て去る。あっけなくこの気持ちは掻き消える。
「素晴らしい世界は悩みも不安も欲望もない。喜びと幸せを追い続けるだけの世界だぞ」
 またどこからか声が聞こえた気がする。でも、それも丁重にお断りさせていただく。
 …だって、そんな世界には、こんな沢山の「違った人たち」はいないでしょ?
 苦笑いとともに舌を出し、わたしは立ち上がる。同じような人たちが同じようなものを目指して同じ方向に歩いている世界は、わたしには素晴らしく思えないのだ。わたしはわたしの考えで生きる。悲しい生き方そのものだけれど、日曜の午前、こうして沢山の「違った人たち」が、それでも生き生きと歩いているのを見て、また微笑ましくなるのが好きなのだ。神様にさえ逆らうなんて、わたしはひどい奴だね。今度は苦笑いではなかった。おかしくなって、わたしも歩き出す。

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/13 (Mon) あいこちゃん

 あいこちゃんはいつも、帰り道に荒川沿いをてくてく歩く。どこを見ているのか分からない虚ろな視線に弱弱しい足取り。そっと触れなければ折れてしまいそうな美しい彼女を、近所の男子は皆狙っていた。あらゆる方法でアプローチをとったが、誰もが相手にもされぬまま撃沈していった。
 今日も夕方になるとそんな馬鹿がひとり、現れる。
「…この花、摘んじゃうのが可哀想だと思わないかい」
 詰襟の男子高校生は歩いてくるあいこちゃんに話しかけた。あいこちゃんはちらりと視線を移したが、またすぐ手元の文庫本に落としてしまう。
「白くて小さい花だよ。この季節になると咲くんだろうな。この花の名前、知ってるかい?」
「知らないわ」
 興味もないわ、と言っているようにも聞こえた。しかし彼は笑顔で続ける。
「こんな小さい花だよ。摘んじゃったら死んじゃいそうで、可哀想じゃないか?」
「じゃあ摘まなきゃいいじゃない」
「美しい花なんだ。きみにあげたい」
「道草を摘んで渡してもらっても嬉しいと思う? あんた馬鹿じゃないの」
「…その本は何を読んでいるのかな?」
「ミシマ」
「ああ、ミシマね。知っているよ。俺もよく読むんだ」
 いつのまにか並んで歩いていた彼は、あいこちゃんの視線をどうにか獲得しようと身振り手振りを大きくして話題を探した。なるほど、噂通りのディフェンスだ。
「きみは花が嫌いなのかな?」
「嫌いではないわ」
「じゃあもらってくれ。僕の気持ちだよ。でもあの花を摘むのは可哀想とは思わないか?」
 しばらく無言で歩いていたあいこちゃんは、彼が視線をあいこちゃんから道に移したときにようやく本を閉じた。
「あんたね」
「え。何?」
「草花はね、花がメインじゃないの。花をいくら摘んだって死んだりなんかしないわ。根っこがあって茎も葉もあればいくらでも花を咲かせられるの。すぐに枯れる花なんて貰っても嬉しくないの。それで何? きれいな花を何に例えるつもりなの? そんなことしたらそれこそ花が可哀想じゃない。例えるんならあんたの汚い格好にでもしなさいよ。ドブネズミ以下よ」
「そうか…」
 普通の男ならばこの辺で負けているだろう。しかし彼はあいこちゃん対策は万全だった。
「そうだな。そういうのも人生かもな」
「あんたが人生の何を語るの? は? 馬鹿じゃないの? 詩人のつもり? それとも大人気取り? 何にも知らないクソガキのくせに恋愛はいっぱしだっていうの? 何かを知ってるつもりなの? 独り言なら川原で魚にでも言ってきなさいよ。そうじゃなかったら腹切って死んで」

 荒川の夕暮れはいつも穏やか。かんかんかんと時折聞こえる電車の音が、ヒグラシの切ない泣き声を深めるばかりだった。


読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/12 (Sun) ある少女の恋の一幕

「だめなの。私を見ないで」
「…見たいんだ。一目だけでも」

 その日、僕はついに約束を取り付けたメルトモの子に会うことができた。メールを始めてから約1年半。ほとんど毎日、下らない事から深刻な悩みまで、僕の持つあらゆる要素を語ってきた。電話もしてきたし、写真も交換してある。信じられないほど可愛いその子の名前はメグ。ようやく会えたというのに、メグはサングラスに帽子を深々とかぶっていて、その可愛い顔を隠していた。そのまましばらくは会話をしたり食事をしたりしたけれど、公園で一休みして話していると、やはり僕はメグの顔を見たくなってどうしようもなくなってきた。
「どうして見せてくれないの? 写真も見せてくれたのに。それとも僕が好みじゃなかったかい?」
「そうじゃないの。その…私ね、話が長くなるから最初から云うけど、まず私の本当の名前はメグじゃないの」
「そうか…。まあいいよ。メルトモだったし、ハンドルネームもありだよ」
「本当の名前はメデュって云うの。日本人の血筋じゃないの…」
「そんなこと関係ないよ。宗教が違ってても全然オッケーさ」
「そうじゃないの。私、親の名前を受け継いでるの。だからメデュ13世って云うの」
「メデュ・サーティーンか。そんなこと構わないよ」
 少し迷っていた様子のメグは、恐る恐る帽子を脱いだ。長くて艶やかな髪が僕の心臓をキュッと締め付けた。
 それから五分ほど、メグは照れながら、どうしていいか分からない様子でちょっと挙動不審だった。
「…眼鏡も、外すの?」
「できたら外して欲しい」
 もしかしたらメグとはもう会えないかもしれない。メルトモなんて、どれほどの期間続いていたとしても次の日「アドレス消します。連絡しないで。ばいばい」という一言のメールを送れば縁が切れる存在なのだ。そして代わりはいっぱいいる。僕は焦っていた。ダメでもいい、本当のメグを見たい…
「どうして見せてくれないんだ? なあメグ、そんなに僕が嫌いか?」
「…そんなことない! 私、あなたが好きよ。メールしてるときからそう思ってるの。でも、ダメなの。私を見ちゃダメなの」
「どうして!」
「私の本当の名前は、メデューサ。メデューサ13世っていうの。神話に出てきた怪物の血を受け継いでいるの。私のお父さんは生涯お母さんの顔を見なかったわ。お母さんもずっとサングラスとマスクをつけてた。私もお母さんの顔は見たことがないわ」
「そんなこと」
「そんなことがあるの! 聞いて。お父さんはある日、お母さんに懇願して顔を見せてもらったの。その次の瞬間、お父さんは石になった。だけど石のままじゃ魂が供養されないからって理由で、その石は砕かなきゃダメなの。だから私とお母さんは泣きながらお父さんの形をした石を砕いたわ。お父さんの欠片は今も持ってる。ほら、このネックレスのヘッドの石がお父さん」
「…そんな馬鹿な…」
「証拠、見せてあげようか?」
 そう云うとメグは後ろを向いて、そこらへんに居た野良猫を見た。野良猫と目が合った瞬間、猫はその形のまま石になった。メグはサングラスをかけ直して猫の石を砕いた。鞄の中にハンマーが入っていたことに驚いたが、その驚きは大したことなかった。
「…だからわかったでしょ。誰も私の顔を見ちゃダメなの。私の…ううん、メデューサの血を引く家系の女性は、みんな生理が始まった頃からこの能力を持っちゃうの。見た人を石に変えてしまう呪われた能力…。だからみんな顔を隠して生きていくしかないの。そうじゃなかったら、この顔を完全に火傷させて元の形が分からないようにするしかない」
「メグ」
「…ごめんなさい。でも、今日会いたいって思ったのは、このことを知って欲しかったからなの」
「……」
「助けて欲しかったの…」

 タスケテクダサイ。空に叫びたかった。けど、そんなことをしても何にもならないことは知っていた。しばらく静寂が僕らを包み、陽がくれた。公園は少し寒くなってきた。僕は上着を脱いで、うつむきながら腕をさすっているメグの肩にかけてあげた。
「ねえ、ひとつ決断して」
「何だい?」
 メグはすっくと立ち上がり、僕に背を向けてサングラスを外した。細い背中が愛しくてたまらなかった。思いは通じていたのだ。僕らの時間は無駄じゃなかった。けれど、僕は彼女を見た瞬間に死んでしまう。彼女はそして僕を殺したことで自責の念にかられるだろう。
「ねえ、私のことを好きだって言ってくれたじゃない?」
 以前、僕はメールで確かにそう言った。
「言ったよ」
「それがホントに本当なら、私の前に立って私を見て」
「僕に死ねって言ってるのか?」
「違う。できますかって訊いてるの。責めてるんじゃないよ。悪いのは私だから。ねえ、できないならこのまま立ち去って。そしてもう二度と連絡しないで」

 たっぷり、15分。僕らは無言で立ち尽くしていた。僕は少し震えるメグの背中に視線をやりながら、決断できずにいた。
「…もう、いいよ。わかった」
 僕が戸惑っていると、メグはサングラスをかけなおして鞄をひょいと取った。
「ごめんなさい。やっぱ、私なんて、ダメだよね」
 それだけ云うとすたすたと歩いていってしまう。その時、僕は思った。この恋が終わったと。
 だけど。
 僕が好きになったのは、メグの顔では決してないはずだった。
 メールの内容が、文章のリズムが、声色が、笑い声が、いや、メール着信だけでも。僕はメグからの着信をいつも待っている。待ちきれなくなるとこちらからかけるのだ。何故だ? そんなの簡単だ。僕が好きなのはメグの心であり、メグという人そのものなのだ。
 ダッシュで公園の入り口まで追いかけ、メグの前に立つ。肩をがしと掴んだ僕は、メグに真剣な視線を向けた。濃い色のサングラスは向こう側の瞳を透かすことはなく、マジ顔の僕だけを写していた。

「だめなの。私を見ないで」
「…見たいんだ。一目だけでも」
「見ないで…」
 震える肩を僕はしっかりと掴んで、言った。「死んでもいい。きみと一緒にいたい。きみのことが好きだ。一生グラサンでいいよ。ただ、写真ならきみの顔を見れるだろう? 昔とはきっと時代が違うんだよ。写真なら僕はきみを見られるんだ」
「そんなこと言ったって」
「じゃあ証拠を見せるよ。最期にきみを見られるんなら本望さ。さ、グラサンを外してくれ」
「…本当なの?」
「本当さ。じゃあ、そうだな…。きみも本気なら、石になった僕を砕いた後で鏡を見て自身を石にするんだ。そして、向こうの世界で一緒になろう」

 また、静寂。沈黙。時が流れる音さえ聞こえてきそうなほど、しんとした公園。数分後には1つの美しい石像がここに立っているのかもしれないし、砕けた僕の石だけが転がっているのかもしれない。

 目を閉じていた僕は、メグがサングラスを外す音を聞いて、覚悟を決めた。
「目を開けるよ」
「…うん」

 カッ、と僕が目を見開いた瞬間、飛び込んできたのは、メグの顔…の、アップだった。あまりにもそれがアップすぎたせいで僕はそれを顔だと認識できず、ただの闇だと思った。しかしその瞬間は、僕の唇が温かく柔らかいもう1つの唇に触れていたことを知った瞬間でもあった。
 僕はまた目を閉じる。
 少しの間、と云っても5秒ほどだが、キスをしていた。それがひどく長い幸せな時間に思えてしょうがなかった。
 キスの後の大きく吐いた息を吐ききる前に、僕は目を開けた。

 そして、写真で見た最高の美少女を僕の網膜は焼き付けた。

「ありが」
 僕の意識はそこで止まった。ありがとう、さえ云うことができないまま僕は石になったのだ。
 メグは美しい瞳から涙をこぼした。こぼしながら、鞄からハンマーを取り出す。石となった僕は砕かれてしまった。


 僕の意識は、それでもまだ続いていた。
 メグの両親や先祖は、皆どうやって生活していたのだろう。少し考えたが、方法は3つだった。1つは一生サングラスをかけ続けること。2つ目は顔に大火傷を負うこと。3つ目は僕の目を見えなくしてしまうことだ。
 それを、メグの前に次に現れる人に教えてあげなくちゃいけないような気がした。ねえメグ、知ってるかい? 石にもさ、心がまだあるんだよ。今の僕は石や木や花の心が聞こえるんだ。世間はさ、きみが思ってるほどきみを嫌っちゃいないよ。

 メグは僕の瞳の部分を手に取ると、粉々になったほかの部位には目もくれずに帰路についた。きっと僕もメグのネックレスかブレスレットの一部になるんだろう。

 帰った彼女は、鏡を見ながら泣いていた。彼女には自身の呪いは通じないのだ。
「最期に、素敵な恋ができてよかったよ」
 涙が足首のあたりまで溜まった部屋で、メグはいつまでも泣き続けた。涙のプールに携帯電話を投げ捨てて。

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/11 (Sat) もりのくまさん

 ある日。
 僕は、
 熊に、
 出会った。


 学校から帰ってきたら、台所に一頭の熊がいた。体長は約1メートル。帰ってから冷蔵庫にダッシュして牛乳を飲むのが日課だった僕は、台所の入り口で固まってしまった。
 …熊? なんで? 山から下りてきたのか?
 家の裏は小高い丘で、その先には山がある。観光客が増えたせいで熊が人のお弁当の味を覚えてしまって村へ下りて来ることがあるから注意してくれという内容を先日、回覧板で読んだ気がする。しかし注意しろっつったってできるもんじゃない。さて、ここで重要なのは冷静になることだ。僕は鍵っ子だから僕が帰ってくるまでは家は鍵をちゃんと閉めてあったはずだ。まさか鍵や戸を壊して入ってくるとは考えにくい。だとすればこの熊は何だ? ぬいぐるみか?
 密室熊だ。
 そういえば昔、ディズーニのアニメで見たことがあった。密室熊という熊がいて、あらゆる密室状態となった部屋に入りえる能力を持っているらしいのだ。好物は蜂蜜。…っておいおい、ふざけんな。さっさと帰れ(僕に牛乳を飲ませれや)!

 1時間。2時間。僕の2畳先には熊。大きさから見るにまだ小熊だ。死んだフリをすると爪で突っつかれて逆に怪我をするらしいので、本来ならば熊は無視して距離を取るのが正しいやり方なのだが僕は正面きって対峙していた。小熊はどうやら人が怖いらしく、台所の林檎を何個か食べまわった形跡を残していたが僕がここに現れてからは大人しくしていた。ときどきキョロキョロしている。出口を探しているのか、食べ物を探しているのか。
 ぐるるるるる。
 それが熊が喉を鳴らした音だったのか僕のおなかがなった音だったのかは分からない。が、僕はそろそろ限界だった。もう別に熊がいてもいいや、と思って冷蔵庫まで歩き(熊の目の前!)牛乳をパックのまま、ぐいぐいと飲んだ。熊はここで改めてぐるるるると喉を鳴らした。しょうがないので鍋に牛乳を分けてやった。ぺろぺろと顔を突っ込んで熊はそれを舐めた。
「なあお前、いつもは何食ってるんだ?」
 大昔のアニメを思い出す。

 ――いいないいな、人間っていいな。美味しいおやつにぽちゃぽちゃお風呂。あったかい布団で眠るんだろな。…でんでんでんぐりがえってバイバイバイ? そんな歌があったような。

 山が工事中で行き場を失ったから、この熊はここに来たんだ。
 蜂蜜しゃぶってお腹一杯だよー、なんつって眠るような幸せな熊は、たぶんこの村の山にはいない。もう少ない木の実やキノコや魚をちょっとだけ食べて、空腹を誤魔化すように川の水を飲んで、そして観光客に餌を貰うんだ。本当はお腹いっぱい食べたいんだろう。
「なあお前、パン食うか?」
 冷蔵庫にあったのは食パンだけだった。あと卵。さすがに生卵はダメだと思い、僕はパンを与えてあげた。熊はふももも、とか言いながらそれを食べた。喜んでいるのが分かった。
「今日さあ、テストがあったんだよ。国語と算数。80点だったよ。すごいだろ?」
 熊の毛並みを触ってみた。意外と固い毛だった。熊はふももも、と言いながら僕を見て、頭の上で手を少し動かした。感謝のポーズだと僕は思った。
「食べたいものあったら食べてっていいよ。今日だけな」
 僕がまた冷蔵庫を開けようとしたとき、
 ギャーン!
 と熊は叫んで倒れた。

 はっとして入り口を見ると、同級生のケンちゃんがいた。その後ろには先生たちと、役場の人。手には、鉄砲。
「熊を撃ったの!?」
 目が真ん丸になった気がしていた僕は、熊をさすった。手にささりそうな固い毛。
「ケン坊が遊びに来たらおめえが熊と睨めっこしてるっていうさけ、麻酔銃持って来たんや。悪く思うなや。こいつら、可愛い顔して人のことを殺そうとか裏をかこうとか思っとるんやぞ」
「そんなことないわ!」
「ほうやから熊は森に返さないけんねや。ほら、腕持てや。外にトラック用意しとるさけ」
「返す森なんてもうこの村にはないやろうが!」
「何やと?」
「お前らが税金貰うために森切り開いたから熊が来たんやろうが!」
 僕は知らず、叫んでいた。
「子供が知ったようなこと云うでねえ」
「馬鹿にすんなや!」
「おいおいマルちゃん、やめとけや」
 ケンちゃんが止めにかかったが、僕は熊の前で両手を広げた。「熊に触んなや!」
「マル坊、無理や。熊は人とは一緒に暮らせんからな」
「そんなこと知るか!」
「知れや! ガキ!」
 大人が怒った。その勢いに僕はびくっとして、ひるんでしまった。足ががくがくと震え出す。僕が動けなくなったのを見て、大人たちは熊をエイサホイサと運んで行ってしまった。

 せめて最後まで見せてや、と僕は頼んだ。トラックの中で、役場の人は言った。
「熊はな、人に餌を貰ってもすぐにそんなこと忘れてしまうもんなんや。だから餌付けなんてでけん。明日になったらあの熊、今度はマル坊のこと食いにくるかもしれんねんやぞ」
「……」
「動物には思いは通じんねん。犬か猫か、それくらいや。云うこと聞いてくれるんはな」

 帰りのトラックの中、ふと思った。
 あの熊って、もしかして昔人間が飼っていたペットじゃなかっただろうか。だとしたら、僕らはひどく残酷なことを…
「なあマル坊。今は不景気やから、居場所がなくなった動物を見つけても保険所も動物園も引き取っちゃくれんねや。一番いい方法は、一緒に暮らすことやけどな。でもそれができんから、せめて安楽死させるしかないやろう? 麻酔で眠らして山に返したところで、明日にはまた村に下りてきて人様の家の物を食うからな」
 …人様。ひとさま。
 そんなに偉いのかな。僕は思う。たぶん、このトラックでタックルすれば大人の熊だって一発で殺すことが出来る。そんなパワーを操る人間は、果たして本当に強いのかと。
 だけど少しだけ救いになってくれていたものもあったように思う。
 役場のこのおじさんは、どうにかして熊を殺さず、山も切り開き、人も安心して暮らせる方法がないかとずっと考えていてくれたことだ。漠然と、僕も大人になったら役場に勤めようと思った。動物に優しい村を作るために。
 

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/06 (Mon) ヒトリズモウ

 気付くとそこは、ほとんど真っ暗で冷たく広い、南極みたいなところだった。いや、というよりはマイナス30度を体験するお化け屋敷アトラクションみたいな、そんな感じだった。しかし違和感がひとつ。
 道がない。
 そこは果てしなくだだっ広い場所で、360度の視界がばっちり見えているのにひたすら真っ暗でしかない、という極寒の地だった。どうやらその闇は、今が夜だからという時間に依存しないものらしいことを直感した。ここは、たぶんいつまでも暗くて冷たい場所なのだ。
「ここは、どこだ?」
 声を出してみた。辺りにしん、と染みて声は消えた。響くことすらなかった。

 寒いけれど、そこはなぜか僕にとっては居心地のよい場所だった。ひたすら歩いても疲れず、真っ暗でも怖くなく、寒くても涼しい程度のものに感じていた。おそらくこれは夢なのだ。そう思うことで不安を拭い去ることができそうな気がしていた。しょうがないので歩いてみる。進むうち、小さく光るものが落ちているのを見つけた。手に取ろうと思って触ると、それはビュミョンと変な音を出して消え去った。特に僕はそのことについて感想を抱かなかった。
 ――ああ、たぶんここは僕の心ん中だ。
 いつしか、直感した。夢の中かもしれないけれど、僕は自分の心の中に落ちてしまって、閉じ込められているのだ。だからここは心地よいし、僕の過去の痛みを少しずつ癒してくれているのだ。昔の恋も、今の職場も。

 この場所から出たいか、と自問した。
 否定できなかった。
 そうして立ち尽くすうちに、その場所に沢山の人が走ってきた。正確には僕のところに。

「ずっとここに居ようや」「ダメだ。出なきゃ」「出てどうする」「やることが残ってんだ。たくさん」「そんなの知るか」「やらなきゃ」「何を」「やるべきことを」「お前がやることなんて誰にだってできるさ。気にすんな。ここに居ろ」「ここに居てどうすんだ」「歌ったり踊ったり好きにすりゃいいさ」「誰もいないのに?」「俺はたくさんいるぞ」「僕が沢山いてもどうしようもない」「どうして。誰もお前を傷つけない」「だからってここにいちゃダメなんだって」「なんで」「なんででも」「知るか」「いい加減にしろ」「拳振り上げちゃって何する気だい」「壊すんだ。ここを」「ここを?」「そうさ」「ここはお前そのもの。壊れないし折れないよ」「出る」「だから何で! 外に出ても誰もいないのに!」
「…え?」
「お前を救ってくれる人も大事にしてくれる人も、大事にすべき人も好きな人も、優しい人も親しい人もいないんだぞ」「わかってる、けど、でも」「でも?」「でも。出なきゃダメだ」「どうして」「ここに居ちゃそれこそダメになるよ」「いいじゃねえか。ここでは全てが思い通りになる」「思い通り」「そうさ。空も飛べるし、世界を照らすこともできる。悪役を登場させてぶっ殺すこともできるよ」「思い通りになる世界なんてないよ」「…ん?」「ならないんだ。世界は」「そりゃそうだな」「人はこの場所以上に冷たいよ」「そりゃそうだ」「どうしていつも自分だけ、って思うんだ」「そうだね」「でも、そんなものかもしれない」「そんなもの?」「人は幸せにはなれないし、誰かを助けることもできない」「そうだね」
「ところでここから出たらどんな場所に行くと思う?」「知らない」「いつもの部屋だよ。お前は今、恋人と喧嘩してぶち切れて叫び出したんだ」「みっともないなあ」「それで?」「それでもこれでもないよ。だからこれは全部俺の独り言さ」「そうだね」「ところでここから出るにはどうすりゃいいの?」「土俵を探すんだ」「土俵?」「そう。この世界と外の世界の境界線になる一本の綱さ」「土俵か」「それを飛び越えるんだ。でも、今まで誰もそれを見つけたやつはいない。世界の果てなんてないから、たぶん境界線もどこにもないんだ。ひたすらこの世界は続く」「…見つけるよ」「無理だね」「あ?」「だってお前ヘナチョコだし」「知るか」「俺でも無理なんだよ」「おまえは僕だろう?」「違いねえ。だから無理なのさ」
「なあ」
「あん?」「どうした?」「いきなり上向いて」「何か見つけたか」
「いや…ちょっとさ」
 夏が終わる瞬間が近づくな、って思ったんだ。一人、心の中で呟いた。
 そこは見慣れた玄関で、脱ぎっぱなしのぶかぶかの革靴に片足を突っ込んだ僕がドアノブを掴んで突っ立っているところだった。
「…戻れたのか? でもどうやって」
 思わず、自分の手の感触を確かめた。ノブをガチャガチャやって、顔をぺしぺし叩いて、はっとして振り返った。
 泣きそうな顔で怒っている女の子が一人。ああ、この子は僕の――…

 壁は白く、ガス台は薄汚れていて、洗面所は水色。赤いタオルがかかっていてその隣にヘアワックスがいくつも積んである棚があって、トースターからは焦げたパンの匂いが漂い、レンジはぶいんと言いながら回っていて、隣の部屋のラジカセはいつものラジオを聞かせてくれて、何年も使っている机には銀色と黒のパソコン。そして、僕の目の前には僕が買ってあげた緑色のシャツを着た女の子。
 色がいっぱいありすぎて目がくらむ。頭が痛くなりそうだった。
 暑い暑い日々は、まだ続きそうだった。

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/02 (Thu) 夏

 甲子園が終わり、オリンピックが終わり、野球では優勝チームが決まり、僕の恋も終わった。夏は解放的な気分になるから恋の季節だ、なんて云う人たちがいて、もう戻れない夏に戻れない恋、なんて歌う人たちもいる。死ぬほど暑かったはずなのになぜか暑かった記憶はなく、何度かの雨を経て気温は確実に下がっていった。それと同じようにセミの声も小さくなっていった。
 九月から始まる学期では、みんなどんな顔をしているのだろう。たった数週間で自分を変えることなどできただろうか? また同じような毎日が始まる、という恐怖は僕の頭痛を加速させるけれど、まだ数日あるはずだった。心の準備、なんて何のためにすりゃいいのか分からないけれどそれを準備するべきなんだろう。
 部活に明け暮れた奴もいるだろうし、勉強し続けた奴もいるだろう。どちらにしてもそれなりの苦労は報われるはずだ。けれど、僕は…
 図書館で涼んでいただけの奴もいるに違いないし、パソコンと睨めっこを続けていた奴もいるはずだ。そして、僕は…
 いや、違う。「僕も」、だ。
 みんなそれなりに覚悟して次の学期を迎えるのだ。イヤなこともいいことも沢山あることを知っているし、受け止める覚悟を決めているのだ。いろんなものを失っただけの夏が人生で一度くらいあっても、きっと次の夏にはいい思い出になっているはずだ。あるいは記憶に残っていないか。
 しいてひとつだけ得たものがあるとすれば、腕の日焼けだろうか。それによって肌が老化しただなんて言いたくはないか。この日焼けがいつになったら消えるのだろう。それを数えていけば、辛い毎日も紛れるだろうと思う。
 机の上に溜まっているのは僕の宿題。
 採点待ちの、一学期の期末テスト。今さらこんなもの楽しみに待ってる奴なんているかな。


読みきり | trackback(0) | comment(0) |


2004/09/01 (Wed) 蒸発現象

 僕の前を行く彼女も、僕の後ろを歩く彼も、僕には眩しすぎる。まだ旅は続いている。僕ら3人の旅。終わりのない旅。へとへとに疲れた僕は、いつからか僕の足元しか見ていなかった。彼の表情も彼女の行く先も知らず、ただうつむいて歩いていた。
 ミス・トゥモロー。ねえ、ちょっと歩くペース早過ぎない? そんなことを言ったらビンタが飛んでくるのは当然なので僕は何も言わない。
 ミスター・イエスタデイ。弟のはずなのにどうしておまえはそんなに僕よりでかく見えるんだ? …そう思うのは当然で、実際に弟の方が大きいし顔形も僕よりずっと素晴らしい。
 僕だけが、この3人の中で劣っているのだ。

 希望に包まれた姉さんと、栄光を背負っている弟。ねえ、あんたら僕と絶対血が繋がってないでしょ? 旅の途中、休んでいる時にそうぶっちゃけたら二人にビンタをもらった。僕は泣いた。繋がっているわけがないのだ。こんなに優秀なふたりと。僕だけが、きっと、橋の下かどこかに捨てられていた孤児なのだ。
「あんたはあたしらそのものなのよ」
 姉さんは言った。
「僕はいつもアニキの背中を見てるんだぜ。しょぼいこと言うなよ。こっちまでヘコんじまう」
 弟は笑う。こいつはよく笑う。
「なあ、知ってるかい」
 僕は恐る恐る会話に参加する。下手なことを言うとまた泣かされるのが怖い。
「夜の道で、対向車と自分の運転する車の光がクロスすると、その真ん中にあるものが消えて見えるんだよ。だから交差点内でも事故が起こるんだ。見えなかったはずなのに、そこに人がいてね」
「蒸発現象でしょ? 知ってるわよ」
「それがどうしたんだい? アニキ」
「出来のいいきみらにはわかんないかもしれないんだけど」僕は少し戸惑う。「僕は今、ちょうどそんな感じなんだ。輝かしいきみらに挟まれて歩いてると、遠くに居る人には僕の姿が見えないんじゃないかなあって」
「…そんなこと」姉さんが笑う。「あたしたちも思うことがあるの。あんたのこと。羨ましいってね」
「僕が? 僕の何が」
「アニキにだけ、影があるんだ。両方から照らされて、アニキの影はいつも大きい。それに、あっちにもこっちにも向かってるんだ。影は1つじゃない。ちょうど体育館にできた人影みたいにね」
「…それが何だってんだ? 何が羨ましいのさ」
「わかんないの? あんたの影が向いてる方向が、あたしが行く方向なの。それは360度続くわ」
「それに、アニキの背を見て僕はついてく。だから、僕らはアニキがいないと進めないんだよ。一歩もね」
「…どういうことだ? 俺はてっきり姉さんが進んだ方に俺たちが着いて行っているのかと…」

「トゥモローもイエスタデイも、全部おまえが向く方向にしか進めない。全てを決めるのは、影しか見えないお前なんだよ」
 遠くの方で、また誰かが言った。僕はあいつを目指して旅を続けるのだろうか。

読みきり | trackback(0) | comment(0) |


| TOP |

プロフィール

ryow

Author:ryow

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。