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2005/04/28 (Thu) Real

 助けて。助けて。助けて。助けて。誰か助けて。僕を。私を。助けて。救って。何でもするから、何でもいいから、助けて。もうダメなんだ。ダメなことは分かってるんだ。死にたいんだ。でも死ねないんだ。怖い。怖い怖い怖い。怖いんだ。だから誰か助けて。助けて。殺して。

 本当のことはいつも人を傷つけるものなのだ。俺も誰も同じで。
 メンヘラの一人として、せめて彼らを分かってあげられる一人として、俺は彼らに言った。
「俺に助けさせてくれ。何でもいいから言ってくれ。何でもする」
 人の役に立てば、たとえそれが嘘だとしても、俺も誰かも救われると思った。
 俺にも役目が与えられれば誰かが救われると思った。俺も救われると思ったのだ。
 助けて助けて助けて… 静かな空間に果てしなく響く、助けを呼ぶ声。
 助けさせてくれ! 何でも言ってくれ! 俺は君たちのことが分かるんだ。だって君たちは俺だから! だから俺は――
 (俺は俺を救いたいから、救われたいから偽善行為に走ろうとしてるのか?)
 誰かが言った。
「ムリポ」
 助けて助けて助けて… 声は響いた。
 誰か助けて。

 誰にも永遠に届かないことを、彼らは知っているだろうか? すぐ隣に、すぐ近くに、本当は協力者がいるのに。気付けば俺も同じことを繰り返していた。また誰かが助けに来てくれるのを待つのだろうか。この場所で。

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2005/04/26 (Tue) 大人になってしまった僕らの歌

 月を見ていた。
 冷たさが心地よいベンチは、最近の僕のお気に入りだった。深夜0時ちょっと前になると人がいなくなり、電線をちょうど隠すように葉をつけた桜の木が、真上の景色をどこか違う場所からの景色に変えてくれる。物音はない。足音もない。虫や鳥の声もないのが都会を感じさせてしまうけれど、ほぼ完全に無音の空間がそこにはあった。首をもたげ、手の力も抜く。ひんやり。今、僕はこの無音の一部になっている…そう思うことが楽しみというか、じんわりと広がる何かだった。たぶんそれは幸せに近い感覚だった。けれどその幸せを認めてしまうと、日向ぼっこで幸せになる老人と同じになってしまいそうで、ちょっとだけ怖かった。僕はまだ若い、そう思いたかったのだろう。
 けれど、週末になって、隣のベンチに人がやってきた。
 大学生くらいのカップルだった。付き合い始めなのだろう、まだ相手との距離をよくわかっていないぎこちない感じだった。何を話しているかは聞こえなかった。ただ、月を見上げて何か言っていた。
 ぼそぼそ。ぼそぼそ。それは、たぶん「月が欠けていくのが切ない」というような内容だったと思う。それを聞いた時、僕は僕が大人になってしまっていたことを実感してしまった。
 確かに過去、僕にとっても月は欠けていくもので、それは切なさややるせなさの象徴だった。
 けれど今は違う。僕にとって月は満ちていくものになっていた。いつからか…わからないけれど。
 満月に向かって満ちていき、新月に向かってまた満ちていく。
 そう思って心に安らぎを感じてしまうことは、もしかしたら僕が”落ち着いた”大人になってしまっていたからではないだろうか。人とどう接していけば無難に生きられるかを知ってしまった、かけひきや本音のない世界の住人に。
 そう思ってしまってからは、胸にいつも流れていた歌が聞こえなくなってしまった。
 無音の夜の公園。けれど、切なさは感じなかった。

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2005/04/23 (Sat) 憧れ

 子供の頃から、気になっていたことがあった。
 山の上にある小学校から見える、さらに高い山。それが「山」の字を表す形ではないのが、幼心に疑問だった。どっからどう見ても台形なのだ。山頂部がパキッと水平に切り取られている。あの山は何だ? 子供たちは噂し合った。世界征服を企む秘密結社の基地だとか、ゴルフ場だとか、リゾート地だとか、ゲームセンターと図書館とブッフェがある楽園だとか、謎の巨大生物がいる野生の森だとか。でも、誰もそれを調べようとはしない。皆で噂することが楽しいのだ。先生たちは何も言わない。さあ、何だろうねえ、とか何とか。
 結局のところ誰も知らないのだ。
 そして僕も、大きくなるにつれてそんなことはどうでもよくなっていき、やがて忘れていった。
 けど小学校のときの仲間が結婚したというので地元に少しだけ戻った時、小学校で行われたちょっとした同窓会の場で、あの台形山のことをまた話し始めた。あれはやっぱり基地なんだよ、という結論に至り、同窓会の最後に残った仲間たち3人だけであの山に行ってみることにした。
 やめとけよ、と結婚した仲間が力なく言ったが、僕らは行くことに決めた。
 久しぶりに来た地元だ。よく知った道を仲間たちで車を運転して走ることが楽しくてしょうがなかった。

 山のふもとの町には人が少なかった。小高いところにあるこの町から見ると、僕らの小学校などどこにあるのかさえ分からなかった。遠くに見えたこの場所は現実から離れた場所にあった。
 山に通じる道は1つだけ。しかし「私有地」と書いてあり、道路が繋がっているものの謎の巨大扉が行く手を阻んでいた。この厳重な警戒はやはり基地だ、と僕らは楽しくなってしまい、車を降りて歩いていくことにした。獣道を割って進んでいくと、だんだん山頂が見えてきた。
 すぐ近くから見ても山頂はやっぱり水平に切り取られていた。もうすぐだ。もうすぐ、僕らは「夢」に辿り着く。
 辿り着いた先に僕らが見たのは、空いた口が塞がらない光景だった。
 火口のようにくぼんだ山頂は、ゴミでいっぱいだった。粉々にされて固められたプラスチックごみ。それを埋め立てるための山だったのだ。周囲から内部が見れなくなっていたのは、ただこのことを業者あるいは行政が隠そうとしていたから。それだけだった。
 …ゴミの山があんなにも輝いて見えていたのか。
 ふと気付いて煙草をしまった。今、この山に火のついた一本の煙草を投げ捨てるだけで、この山が見える至る場所で見える山火事が起こるに違いなかった。

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2005/04/22 (Fri) 情報起業家

 なぜ、町には駄菓子屋があり、小さな電気屋があり、鍵屋とか靴屋とか婦人呉服店があるのだろう、と本気で悩んだことがあった。昭和の頃ならともかく、今ではそんな小さい店には客は入らないのだ。個人経営みたいな小さい電気屋で、電池なんかも定価で売ってるようなところで、どうしてプラズマテレビを30万円も出して買う奴がいる? いるはずがない。おばさん御用達のえげつない洋服ばっかり売ってるような小さい駅前のさびれた店に誰が入っていく? そこで数万もするセンスのない古い服を誰が買って喜ぶ? 喜ぶわけがない。
 必要がないのだ。存在そのものが。
 なのに、なぜかそういう小さい店はいつになっても続いていく。さびれた商店街だったとしても、なぜかそういうのは続いていくのだ。なんで?? 私はそれが気になってしょうがなかった。いまどき、コンビニに行けば大抵のものは手に入るし、プラズマテレビを買おうと思えば大きな街の大きな電気屋でポイントも20%くらいついたのを買うだろう。服だってお洒落な店で買うし、電池が切れれば100均で買う。
 なぜ、小さい店がいつまでも残るのだろう。
 誰も必要としてない”はず”なのに、なぜ?

 …それを深く深く考えていったとき、社会の縮図が見えた。
 ああ、そうか。私は気付く。同時に、ネットで際限なく増殖していく「うまい話」のエッジに辿り着いた気がした。そうか、すべては同じことだったんだ。だから世界は不公平に回っていくのか。
 そうして私は新しい言葉を知り、新しい世界に進んでいく。
「世界を変えたければ、2通りの方法がある。世界の頂点に立って全員の向いている方向を変えさせるか、自分の向いている方向を変えるか」
 誰かがそんなことを言った。
 いや、それを言ったのは私だった。
 だから世界は不公平に続いていくのだ。
 圧倒的な「気付き」は、私を際限なく広げていく。途中で意味が変わってしまう伝言ゲームを一歩引いて俯瞰するように。伝言は最初から間違っていた。ただ、それを知っているのは最初の人だけ。つまり私だけ。
「私が世界を回してる」
 それに近い感覚。情報を操る、という行為。

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2005/04/20 (Wed) 色眼鏡

 世界を変えたいなら、世界の見方を変えればいい。
 フィルターを通して世の中を見れば色が違って見える。
 カメラ越しの世界。枠にはめられた世界。それがわたしの世界。ファインダーとはよく言ったもので、念願のデジカメを手にしたその日から、わたしは世界を findするようになっていった。findする人、つまりfinderとはわたしのことだ。そう、カメラは私とともにあることを望んでいたのだ。
 だから、世界をカメラに収めようと思う。

 なーんて難しいことを考えるまでもなく、カメラは楽しい。なぜなら、わたしが”主役”になれる舞台を作ってくれるからだ。それが街でも山でも海でも人込みでも、全てのものはわたしの被写体=キャスト(エキストラ)でしかなく、わたしがこの世界をどうカメラに収めていくかはわたしが決めるのだ。
 監督・脚本・主演・総指揮・演出・その他もろもろぜーんぶわたし! っていう世界。
 たとえばこの写真が誰かのためにあったとしても、誰も写っていなかったとしても、わたしを主張するものが何もなかったとしても、ここにわたしは”ある”ことを証明することはできるのだ。

 なーんて難しいことをまた考えそうになったら、そこらへんにある何でもないものを撮ってみる。パシャリ。ほら空き缶。パシャリ。ほらコンビニ。パシャリ。ほら車。パシャリ。ほら電柱。ほら坂道。ほら交差点。ほら小学生。ほら、歌になりそうなほど素晴らしいオブジェに溢れた世界。
 そんな中、わたしもいるんだよ。
 ほら、雨。
 雨だからって憂鬱になることなんてないよ。マイナスイオンマイナスイオン! ひゃっほう! ほら走る人。ほら傘持ってる人。ほら相合傘のカップル。ほら雨宿りの猫。ほら、どうしようもなく馬鹿なわたし。

 なーんてことを考えながら、一日をカメラとともに過ごす。写真を見返すのは、今日を忘れた頃にしよう。そしたら今日のこの気持ちが蘇るに違いないから。ねえ? じゃあ最後に、ほら。
 今日一番ダメな顔したわたし。
 パシャリ。

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2005/04/14 (Thu) 今、が、辛い

 他愛もない世間話をした後で、どうしようもなく自分が嫌になる。今言ったことの全てが私を否定しにかかる。もうダメだもうダメだもうダメだ…心の奥でまた私が頭を抱え、髪をかきむしりながら唇を噛む。リアルの私も唇を噛む。叫んじゃダメ。泣いちゃダメ。抑えなきゃ。まだ大丈夫…まだ大丈夫…まだ大丈夫。
「まだ大丈夫」ぽろっと声が出てしまう。心の中で小さい私がついに悲鳴を上げる。リアルの私もそれと同じように大声で「嫌あぁああああああああ」と叫べたら何か変わるだろうか。たぶん、何も変わらない。「あいつが突然変わった」と言われるだけだ。そして、後で噂されるのだ。「あいつはもともとあぁいう奴だと思ってた」「いつか爆発すると思ってた」…私はそう思われている。関係ない話で自分を後悔する。言葉がうまく出ない。「それを」と「それが」が同時に口に出て、「それぐぁ」と言ってしまい、また落ちる。小さい私が声を嗄らす。喉をかきむしりながら、必死に叫ぶ。…私の代わりに。
 本当に本当に本当に、ギリギリのラインに立っている。こういう緊張感に年がら年中さいなまれていると、だんだん全てがどうでもよくなってくる。みじめな自分を、どうすることもできない自分。助けて助けて。誰かに言いたいのだ。好きな人もいないくせに。友人もいないくせに。しかしながら、助けてくれた人と接触したいと思っている自分がいる。自分もいる。いいから助けて。もう疲れた。もう疲れた。もう疲れた。
 限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ限界だ…
「ホントに限界?」
 心の中で、小さい女神が微笑んで呟いた。
 くっ、と唇を噛む力を強め、また自問してみる。
「…まだ、やれる」
 いつも、そう言ってやってきた。確かに限界ではあるんだけど、今の私は、日々限界を超えている。毎日が限界を超えた、新しい私。こんなことを言うとポジティブな奴に写るかもしんないけど、そう言ってるうちに強くなれたらいいな。ていうか、人にホントに限界ってあるの? ねえ女神、教えてよ。小さい私も少し微笑む。

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2005/04/13 (Wed) たとえ花

 無知は恥でもあり、無垢でもある。そう思うようになった。ただ、できるだけ、何事も知っていた方がいい。少なくとも損はしないし、思慮が少しは深まりそうだから。そう思うようになったきっかけは、いつも通る駅前の花屋だった。小さな鉢植えに、矢印の形の板切れが挿してあって、ひとつ100円と書いてある。まぁ別に買わないのだが、行きと帰り、一日にほんの数秒程度だけチラ見する花たちに、どれだけ私が考えさせられたことだろう。まぁほとんどは勝手な妄想なのだが。でも、電車の中で小説を読まなくても、遠くの景色を見なくても、中吊り広告を追わなくても暇じゃなくなるのは、そういう小さいものが及ぼす大きな効果を思うからだ。
 パンジーだかデイジーだか知らないが(知らないのは恥だ! あとでグーグルしとこう)、黄色いパンダみたいな花と紫のパンダみたいな花。あれがちょんと花弁を上げているだけで、行きは「あー今日もなんとかやるかー(そこそこ抜きながら)」、帰りは「あー今日も疲れたような疲れてないようなよくわかんない日だったなぁー(お喋りもしてないし)」、みたいなことを思わせるのだ。そしてその思いが、だんだん人の形を成してくることがある。多々ある。
 一輪のガーベラを思うとき、もう顔もよく分からない遠い過去に好きだった人のことを思い出したり、懐かしい歌を思い出したり、人生って捨てたもんじゃないなぁーってなことを思ったりするのだ。それはまるで、覚えたての恋のような気持ちで。だけど、他人の恋や幸せは反吐が出るほどなんだけど。
 みんなそうだよ、って小さい花が言ってるような気がしたから、そういうことにしておこうと思う。

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2005/04/12 (Tue) ネバーランド

 彼女は今日も僕の隣で歌っている。ラララ。いつものフレーズ。いつもの曲。look at me. look at me.僕はそれに何も言わず、ただ黙って、空を見上げる。誰に歌ってんだ、なんてみみっちいことを言ったら僕は卑小な奴になりそうで、この空が曇ってしまいそうで、←なんて歌みたいなことを思いながらも僕は何も言わないのだ。
 look at me. look at me.その歌は続く。
 ふいに、孤独感が僕を襲う。顔には出しちゃいけない。僕は弱い人間であってはいけないのだ。そういうときは、遠い国の、同じように晴れた空の下で日々を生きることを苦しむ子供を思う。そうでもしないと、僕は泣き叫んでしまうだろう。誰も救えない孤独の中で僕は死ぬかもしれない。
 look at me. look at me.
 春の公園は、僕に神様を連想させた。
 パチンコで負けたときや、大事な仕事を失敗したとき、そんなときに恨む神様とは違う。
 そんなときのフレーズは、いつもこうだ。「ああ神様」。ねえ、ではない。ああ、だ。
 look at me. look at me.
 終わらない歌は、ほんとに終わらない。僕の孤独も終わらないのだ。
 ああ神様。
 こんな世界、ぶっ壊してくれよ。
 こんな世の中、終わらせてくれよ。
 遠い国の子供に、幸せをあげてくれよ。
 ああ神様。
 どうか奪わないで。
 どうか奪わないで。
 …それでも歌は続く。look at me.

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2005/04/10 (Sun) それでも続く世界

 誰かが言った。学のある高名な先生だったかもしれない。
「名曲はすでに出尽くした」
「名画はすでに出尽くした」
「名文はすでに出尽くした」
 でも、それがどうしたって? 僕はそんなこと知ってる。僕というもの、その在り方自体が二番煎じに過ぎないことも知っている。僕は何をどうしてもオリジナルになれないことも知ってるし、仕事も恋愛も僕の代わりやそれより素晴らしい人がたくさんいることはとっくに知っている。
 ただ、自然を見て、ほわっ…って心に広がった何かが、それを受け入れてさらに高みを目指そうとしているだけなのだ。簡単に言うと、逃げ口上みたいなものなのだ。


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2005/04/09 (Sat) 意味

 不意に手紙を書きたくなるときがある。
 だいたいそれは夜中で、懐かしいCDを引っ張り出して聞いたときに沸き起こる感情にも似ている。似ているっていうかそれそのもののような気もする。うん。
 で、書き出しはいつもなぜか疑問形だ。
「今何してるの?」
「元気ですか?」
「最近どうよ?」
 誰にあてた手紙だろう。次の朝にはゴミ箱の中って決まってるのに、私は念入りに言葉を選ぶ。
「私は、笑ってるよ」。
 どんな質問にも答えられる私の言葉。けど、それは表面を表現したにすぎない。笑ってなきゃいけない。泣いても鳴いても誰も助けてくれないし、助けて欲しい人が何もしてくれないなら助けを求めることすら無意味だ。

 手紙を一通り書き終わったら、やっとキャンバスに向かう。昼はバイト、夜は絵描き。この生活がいつか逆転することを願いながら、また筆に思いを込める。ていうか筆が私の思いそのものなのだ。でも夜中に手紙を書きたくなったときなんかは、その思いが少し揺らぐのだ。昔好きだった人のことなんかを思い出して、あの人が今、幸せに笑っていてくれることを願いながらの筆になる。色はいつも淡くなり、次の日の朝に見返したらコントラストが圧倒的に足りない絵になってしまっている。
「なんで絵なんて描くの? 稼ぎにならないじゃない」
 誰もが言う。私は答えない。何を言っても、今の私の言葉ではそれは言い訳にすぎないからだ。

 中学受験、高校受験、大学受験、そして社会人としての試験と、それからの生活。
 人は、成長していくにつれてハードルを越えなければいけない。それが試験だ。その試験の意味というのに最近、やっと私は気付いた。「上」へ進むための頑張りなんかじゃないのだ。
 「上」へ行けないこと、届かないこと、それを確認して自分の立場を認識するための儀式みたいなものだ。私はアレができない、コレができない…だから「上」へはいけない。私は所詮その程度の人間なのだ、だから大それた夢なんて持っちゃダメなんだ、ということを認識するための。
 夢を下方修正するための儀式…それが試験だ。
 なのに、私はそれを認識しきれていない。わかっているのに、諦められない。どうして?
 …その答えを求めるために、絵を描いているのだ。たぶん、すくなくとも、きっと、今の私は。

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2005/04/01 (Fri) さくら

 お花見という題目のもと、大嫌いな”飲み会”に参加することになった。上司命令は絶対だ。古い形式の会社には、昔ながらの風習が残っている。会社としては最悪の経営なのにその体制を省みることなく、親会社のすねをかじるだけの会社。そこに属する私もまぁ、アレだとは思うけど。そんで酒を飲めないものだからまた最悪。私の役目はお酌と笑顔。くっだらない話に共感してセクハラも暴言も笑って許す。じゃないと私はお金をもらえない。
 場がだんだん盛り上がってきたとき、上司が私の肩を触りながら言った。
「桜はパッと咲いてパッと散るからいいんだよなぁー。風情があるよ」
 とか何とか。すぐにグイッと酒。私はおほほほほそうですねー、ってな感じで愛想笑い。
 ――この馬鹿オヤジ。
 桜の美しさは、時にそのはかなさゆえに、という枕詞をもって表現される。舞い散る美学というのだろうか。でもそれは、物事を表面でしか見てない馬鹿なおっさんの言う台詞だ。冬を越え、つぼみをつけ、花を咲かせ、散って、そしてまた次の花を待つ。それがはかないなんて誰が決めたの?
 桜は、桜がやるべきことをやってるだけ。そして次に繋げてるの。どうしてそれがわからない?
 …けど、そんなことを言おうものなら、「じゃあお前はどうなんだ」って言われるに違いない。
 私は、私がやるべきことをやっているだろうか。こういう場所に居ると、いつも思うのだ。

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