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2005/08/08 (Mon) すべての御話の行方

 自分なんかが生きていて意味があるのだろうか?
 この先、何かいいことがあるのだろうか?
 未来に期待できるだろうか、現状を維持できるだろうか、過去を美化できるだろうか?

 もしもあの人みたいな顔(身体)で生まれていたら…
 もしもあの人みたいに他人と話せたら…
 もしもあの人みたいに立派に仕事(勉強その他)が出来て他人に認められたら…

 すべての人生は、その他すべての人にとって意味はあるのか、それともないのか?
 誰かの言葉(思想・芸術・生き方その他)は他の誰かを救えるだろうか?
 ”わたし”という存在が、”誰か”にとって何らかの意味を持ちうるのだろうか?


 ――分からない。だったら、”わたし”の生きている意味(価値・利益その他)なんてない。


 そう思っていた。ここらで明言しなきゃいけないだろう。もしかしたら今”わたし”と同じように苦しんでいる誰かがいるかもしれないから。


「意味は、あったよ。今こうしているときも、意味あるんだよ」


 サイトが、ブログが、音楽が、小説が、漫画が、テレビが、ラジオが、絵画が、思想が、宗教が、歴史が、その他「ひと」が形作ってきた全てに、確かに意味は存在する。それはどういうことか。ひどく単純だったことに今さら気付く。

 その”わたし”の生き方(生き様・死に様・人生その他)に触れた誰かの人生にとって、”わたし”の人生は意味があるのだ。つまり、”わたし”のサイトの言葉ひとつが、それを読む誰かに意味をなすということ。
 そう、”わたし”は救われないけれど、こうして文字になった”わたし”の一段上の次元にいる誰かが、もしかしたら”わたし”によって救われているかもしれない、という現実だ。それは全ての”わたし”と”誰か”の繋がりを意味していて、全ての次元の繋がりを意味している。


 だから、孤独な生き方をブログに紡ぐ人は、そのブログを読んだ誰かの心に繋がっているということで、それは意味のあることだ。そして、すべての御話に登場するすべての孤独な誰かは、これを読んだ人、つまり今こうしてモニタの前にいる”一段上の次元”の誰かにリアルとして受け止められている。
 だから、”わたし”が生きていようが死んでいようが、それ自体は”わたし”の問題なんだけれど、それを受け止めた誰かには、その時だけだとしても、残るのだ。
 そう思えば、悔いはない。

 私の人生には、価値がある。
 もちろん、全ての他人の人生にも。
 これを読んでる、”わたし”の一段上にいる「私」や、「あなた」の人生にも。

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2005/08/01 (Mon) 自己愛

(ほら、まただ。何やってんだ?)
 誰かが私の心の中で言う。
(そんな顔して。ホントはその顔を誰かに見てほしいんじゃないのか?)
 わからない。そうなのかな。でも見たところで何がどうなるわけじゃないし。誰も私を救えないし。
(無理して笑う練習か? それがつまり”誰か”のためなんだろうが)
 笑顔は得意なはずなのに。どうしてこんなことをするんだろう。外面ではいつも笑って、楽しく接して、声をかけ、下らないことで笑う。けど本当は、誰かに声をかけてもらうたびに嬉しくなる。もっと私とお話して。もっと私を見て。そんなことを思ってるのかもしれない。けどそれは汚いことじゃないでしょ?
(毎日帰ってきてから1時間もそうやって洗面台の前でうなだれてる。そんなことを繰り返して意味あったか?)
 意味があったかどうかがすぐに分かったなら誰も苦労しない。
(わざわざ鏡の前で泣いて。何がしたい?)
 …それは、少しずつ分かってきた。
 誰かに受け止めて欲しいのだろう。夏だから、余計にそう思うのかな。こんなこと言ってたら冬も同じ言い訳で同じこと言ってそう。

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