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2005/11/08 (Tue) 大きなのっぽの古ブロガー

「永遠に生きる」と叫んでリアルから消えた男がいた。消えたかどうかは分からない。いや、消えたのはブログからだ。

男はブログを更新しなくなった。最後の言葉が、「永遠に生きる」だ。まったく意味が分からない。少しだけ考え方や世の中の見方が私に近かった男のブログが更新されなくなった、ということ。それだけのこと。

そうだ。ブログに自分の全てを残したとしても、それは永遠に続くセルフログではない。宇宙に一人で浮かぶ棺桶みたいなものだ。「宇宙葬だ」とか言って喜んで打ち上げたはいいけれど、その先は誰も知らない。どっかの海に落ちていたとしても、打ち上げた人、つまり生き残った人だ、は浮かれて大騒ぎしていて、そのことに気付かない。

死んだら終わりだ。永遠なんてない。


大きなのっぽの古時計が人々に喜ばれるのは、おじいさんと一緒に死んだからだ。と、普通は思う。誰だって最初はそう思うだろう。でも、そうじゃない。
「嬉しいことも悲しいことも皆知っている」んだ。おじいさんが忘れ去った悲しいことを、いつまでも刻んでいるんだ。その古時計はつまり――…


初めての子供が生まれた、もう若くない夫婦がいた。
大事に大事に育てたい。自分たちの人生の全てはこの子の時間に捧げよう。どんな希望が待っているだろう。どんな未来が待っているだろう。世界はどう変わっていくだろう。その全てに夢と希望を乗せるため、夫婦は町で一番大きい時計を買って来た。もしかしたら裏に何か刻んだかもしれない。
時計は子供とともにあった。
子供はやがて成長し、綺麗な花嫁を貰った。
時は経ち、妻は先に死んだ。
さらに時は経ち、その子供がおじいさん、と呼ばれて久しくなった頃、ようやく次の物語が動き出した。


おじいさんが死んでも時を刻み続ける時計になりたい、と、あのブロガーは思ったことだろう。
けれど、それは無理な話だったのだ。
親を殺した少女も、放火を続けた記者も、脅迫を続けたレコード会社も、それが話題になるのは、時計が止まってからのことだ。
もう一言も書かれなくなったブログは、早かれ遅かれ消える。彼が残した全ての言葉も。
でも、それでいいと、私は思った。

「今」を刻むことに、時計の意味はあるのだ。
「今」が何時何分何秒なのか。その一瞬のために時計は存在する。おそらく、今、この世界に存在するブログも、「今」を刻むことに意味があるんだろう。
それはつまり、全てのくだらない言葉に、意味があるという、自虐的な、世界の肯定。神がくれた福音だ。

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