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2004/04/13 (Tue) 誰も書かなかったミステリー

 ミステリーをつきつめると、オカルトに行き着く。逆にオカルトを辿るとミステリーに出くわす。それは誰もが通ることで、今さら語ることではない…はずだった。けれど、あえて語らなければいけない。誰もが知っているから語らないという不文律は、それ自体を明文化しなければ残らないのだ。残す必要? …あるさ。あるからいつまでも続いていくのだ。

 たとえば、ゴミ収集の日。一人暮らし経験者なら知っているだろう、ゴミを出した日の夕方はなぜか宅配便が多い。結果、ゴミが朝より多くなってしまうのだ。
 たとえば、ギャンブル。勝ち得た金で食事をして次の日にまたギャンブルに手を出すと、往々にして負けてしまうだろう。同じ額だけ賭けたとしても食事の分だけ(しかもそれはさぞ豪華な食事だったことだろう!)マイナスが大きくなる。ギャンブルの純利益は±0にできるはずだ。負けが多くなるというのはそれ以外にカネを費やしているに過ぎない。
 たとえば、他人の酒。ちょっと違うものを飲んでいるだけということを知っているはずなのに、どうしてかそれは美味そうに見えてしまう。そして「ちょっと一口くれ」とつまんでしまうのだ。それは他人の恋人がよく見える心理と同じと知っていながら、どうしてやめられない?
 たとえば、朝のニュース。同じ内容の下らない芸能しかやっていないのに、しかも他人と話を合わせるわけでもないのにそれをつい惰性で見てしまうのはなぜか、考えたことがあるか? きっと毎日のスケジュールのひとつに組み込まれてしまっているのだ、その下らない時間が。
 たとえば、便所掃除。どうせやるならと徹底的な清潔さを目指すあまり、他の箇所の汚れも気になったせいで結局大掃除になってしまうだろう。しかも汚したくないからと自分の家のトイレを避ける有様…本末転倒とはこのことか。
 たとえば、夜の神社仏閣。何を、と問われれば答えることもできないくせに、何もない何かを恐れてしまっていないだろうか。もしかしたら何かあるかもしれない、もしかしたら何か危害を加えられるかもしれない…そんなことを思って。

 ミステリーとオカルトの共通点はそう、「もしかしたら」だ。Y字に分かれた一本の道は、そこで二つに分かれる。一方は幸福に、もう一方は不幸に繋がっていると誰もが信じている。欲しているのは「正解の道」だ。しかしここで、その道を俯瞰で見て欲しい。
 Yの先にYがあり、そのまた先にYがある。それを繰り返していけば、まるで木の枝が無限に広がりを見せながら成長していくように、細く弱い枝へと辿り着く。それを恐れるほど、このメッセージを聞くあなたは愚かではないだろう? なぜなら、花が咲くのはその小さな枝のさらに先端なのだから。


 ――誰も書かなかったミステリー、それを辿る旅の途中で見つけたヒントを収録したというテープ。それがどこから出てきたのかは、誰も知らない。なぜならそれは、ミステリーなのだ。そして僕が辿るこの宝の地図もまた、誰がどこでどうやって作り、そしてこの髑髏の目の位置に宝をどうして埋めたのかは、誰も知らないのだ。
 それとも、誰も知らない、誰も語らないミステリーというのは…必要のないものではなくて、誰も残せなかったから、ではないだろうか。たとえばこの宝の位置にあるのが僕の命を狙うミステリーマニアだった、とかそういう理由で。


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