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2004/05/05 (Wed) だるまになった男

 疑問に思っていることがある。子供の頃からずっと。
 たとえば目が見えない人は眠っている時にどんな夢を見るのかだとか、耳の聞こえない人はCDに唄われている曲をどんなメロディだと判断しているのかだとか、力が強いだけのオスを探して交尾をする動物がその行動にどのような認識を下しているのかだとか、毛を刈られて丸まった羊のしょっぱそうな顔の意味だとか、この世界にある全ての本を読み終えるまでにどれほどの時間がかかるかだとか、宇宙って結局何なのかわかんねぇなこりゃ、みたいな、どうでもいいような下らないことだ。けれど僕はそれを一度考え始めるときりがつかなくなり、ずっと思い続けてしまうのだ。
 けれど、この歳になってようやく分かりかけてきたような実感を得た。それは僕が大人になり、物事を吸収して覚えていく子供とは一線を画すようになってしまったという実感でもあった。謎は謎でなくなり、理路整然とした事実として記憶されるだけのものになってしまう。
 そんな僕でもやはり、未だに疑問を持つことがある。

 たとえば死の宣告を受け余命何ヶ月と言われたとき、たとえば耳がだんだん聞こえなくなっていく病気になったとき、たとえば目が見えなくなっていく運命を背負ってしまったとき、たとえば料理の味がわからなくなってしまったとき。
 僕はそのとき、どうやって思い出を確認するだろう。
 目が見えなくなったらテープレコーダーで? 耳が聞こえなくなったら写真で? 味が分からなくなったら匂いで? じゃあ感覚が全てなくなってしまったら? いつかそんなことを思っていたことさえも知られずに忘れられて行くとしたら?

 昔読んだ小説に、面白い一説がある。僕は考えすぎて不安になったときはいつもそれを思う。そのときはなぜか、古い歌が頭の中に流れている。そうして僕はまた落ち着くのだ。



 「思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」



 そんな言葉に何度も何度も救われてきた。
 思い出さなくてもいい、と誰かが僕をきっと肯定してくれるのだろう。思い出せなくなるのはそれが記憶だからだ。そして記憶とは僕の外に存在していればそれでいいものである。だからって僕の恐怖が薄れるわけではない。けれど、少しは救われる。思い出すのではなく、ただ思うこと。そうすることで僕は亡くした感覚を手に入れられる気がするから。
 目と耳と鼻と歯と舌と片手と片足を削ぎ落とされてダルマにされてしまった僕でも、なくなった器官が持つ感覚は「覚え」ているのだ。だからこそ思う。今はない両手で人の首をぎりぎりと締め上げるその感触を。そして思う。思いを馳せる。

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