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2004/09/20 (Mon) ゴッド ブレス ユー

 死んだ僕は、今日から神様になるのだという。少しずつ光を貯めて大きくなって、やがて巨大な光そのものになったとき、僕は空の高くに沈んでいく。そのとき僕の意思はおそらくなくなり、もっと大きなものの一部か、あるいはすごく小さいものとして、形を変えるのだろう。どちらにしても僕にはひとつだけ分かっていた。
 もう僕は生き返ることはできないのだ。
 つまらない日常の繰り返しだったけれど、好きな人もいなかったけれど、それでも僕は「僕」でいたかった、と今になって思った。

「あなたはこれから光を集めなければいけないのよ」
 いつの間にか訪れていた門の前で、きれいな女の人に言われた。涙が出た。けれど、目からは何も流れていなかった。女の人は続ける。
「これからはもう、悲しいとか嬉しいといった感情は心の中だけのものになるわ。肉体を失ったから、涙を流すこともないし血を流すこともない。欲望に飲まれる穢れた身体はない。飽食や強欲からあなたは解放されたの。だから善い行いを繰り返し、清い光を集めてもっと大きな光になりなさい」
 逆らうことはおそらく出来なさそうだった。僕には、反抗心という言葉さえも存在しなかったのだ。これからはきっと、彼女のような「上位」の存在から言われたことをひたすら続けていくしかできないのだろう。広義の神様、であるところの「光」になった僕だったけれど、どうしてだろう、悲しくてたまらなかった。
 でも、涙も出ない。
 それならこの感情には何と名づければよいのだろう。僕は、そしてとりとめのない旅に出ることになった。葬儀を挙げてくれている大切「だった」人たちや、涙を流してくれる愛して「くれていた」人たちには感謝することさえなく、ただ、任務を遂行するために。


 どんなふうに生きれたら僕は幸せだったろう、地上に降りてきてから数週間僕は考えた。けれど普通の人の気持ちが分からなくなっていた僕には、それは分かりそうになかった。せかせかと生きる人たちを眺めながら何をすべきかを考える。善い行い? それって何だ? 何が善くて何が悪いのか、それも分からなくなりそうだった。しかしひとつだけ基準があるとすれば、自分の心を律して生きることは少なくとも悪くはない、というような意味の考え方だった。とりあえず僕はそれに従うことにする。
 僕が今思うことは、もしかすると大きな「光」の考えの一部なのかもしれない。だとすれば僕にはもう意味もない。

 地上の人たちは誰も彼もうつむいて歩いていた。上から眺めてみて初めて分かる。泣いている人ほど下を向くのだ。昔、上を向いて歩こうとうたった歌があったような気がしたけれどそんなのはもう通用しないのかもしれない。とにかく、上を向いている人などいなかった。誰も空など気にしてはいないのだ。ときどき見上げる人はいたけれど、彼らは自分の上空を見ない。ずっと遠くにある太陽や月を眺めて思いを馳せるだけで、自分の上にどんな空があるのかを知ろうともしなかった。

「きみらが知らない素晴らしい世界へ連れて行ってやる。上を向けよ」
 僕はそう思った。けれど、誰も空を…光を…、見上げようとはしなかった。






 日曜は、あえて早起きして駅前へ行く。いつからかそれがわたしの習慣になっていた。休日でも背広を着てタイを締めている人。前日から酔っ払って切符売り場の前で転がっている人。ダンスの練習をしている人。演説をしている人。待ち合わせをしている人。駅前のコンコースに並んでいるベンチのひとつに座って、とりとめもなく彼らを眺める。飽きることはない。世の中には沢山の人がいて、その中にわたしもいるのだと確認できる。それがなぜかわたしの元気になるのだ。沢山の人がいること、それ自体がわたしにとって癒しだった。彼らはわたしに何もしないし、わたしも彼らには何もしてあげられないけれど。

「きみらが知らない素晴らしい世界へ連れて行ってやる。上を向けよ」

 ふと、声が聞こえた気がした。あたりを見回しても誰もそんな大きな声を発してはいない。というより、いきなり耳の奥で響いたような声だった。そういえば、歩く人は隣に居る人にしか聴こえないような篭った声で喋り、笑っている。大きな声で自分を云う人などいない。…けれど、それはそれだ。都会では当然なのかもしれなかった。
 午前10時を少し回った。暑くなってくる。お店が開き、人が増える。犬を連れている人は少なくなって、元気な中高生がケラケラ笑いながら集団でどこかへ行く。毎日パソコンに向き合って小さい字を打ち続けているわたしは、自分の居場所を見失いそうになる。
 …素晴らしい世界。今度はわたしが呟いた。そんなものがあるとして、そこへ行ける切符を手にしたとして、わたしは行きたいと思うだろうか。不意に首をぐいんと後ろに倒して息を吐いてみた。視界がゆっくりと180度周り、逆さまになったビルが目に入った。なんとかコンタクト、という大きな看板が見えた。あの中でも今、きっと沢山の人たちがせかせかと商売をしたりされたりしているのだろう。
 首をちょいと戻して、今度は視線が真上を向いた。そういえば、普段から上を向いて歩いている人などいるのだろうか。などと馬鹿なことを思う。上を向いていたらつまずいて転んでしまうではないか。しかも、今は誰も転んでいたとしても気付かないだろう。転んだわたしを踏み越えながら人は進む。行き先は知らないけど。他人に踏まれたくないから、わたしは上を向かないのだ。上に素晴らしい世界があったとしても、わたしは前しか見ない。目が悪くなるほどこらしても何も見えないことも知っているけれど。

 手を伸ばせば素晴らしい世界へ連れて行ってくれそうな気がしてきた。この気持ちは何だろう。神様を感じる、という感情なのかもしれない。でも、わたしは少し苦笑いしてこの気持ちを捨て去る。あっけなくこの気持ちは掻き消える。
「素晴らしい世界は悩みも不安も欲望もない。喜びと幸せを追い続けるだけの世界だぞ」
 またどこからか声が聞こえた気がする。でも、それも丁重にお断りさせていただく。
 …だって、そんな世界には、こんな沢山の「違った人たち」はいないでしょ?
 苦笑いとともに舌を出し、わたしは立ち上がる。同じような人たちが同じようなものを目指して同じ方向に歩いている世界は、わたしには素晴らしく思えないのだ。わたしはわたしの考えで生きる。悲しい生き方そのものだけれど、日曜の午前、こうして沢山の「違った人たち」が、それでも生き生きと歩いているのを見て、また微笑ましくなるのが好きなのだ。神様にさえ逆らうなんて、わたしはひどい奴だね。今度は苦笑いではなかった。おかしくなって、わたしも歩き出す。

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