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2001/11/01 (Thu) 自己相似は宇宙の基本

 中心にひとつ大きな○があって、その周囲をくるくると小さい○が周っている。しかも回りながら周っている。太陽があって、その周囲を惑星が周るように、地球があって、その周囲を月が周るように、原子の周囲を電子が周るように、「宇宙」はそんな自己相似の繰り返しによって構成されている。
 素粒子は空気よりも小さいから、素粒子と素粒子の間の極小には空気が存在しない。じゃあそれは「無」なのか、というと、その部分にも「何か」が満ちている、と考えたほうがわかりやすい。「無」の中を行き来できるのか、というと、実際は「できる」のだけれど。
 重力、電磁気力、素粒子の相互作用、という「段階」と質量、早さ、時間、という「段階」はマクロでみたときにひとつの○によって結びつけることができる。
 すなわち、「意思」。
 脳みそが感じる刺激というのは電気信号のやりとりという、一時的な、物理的な、コンピュータ的な、まるでパソコンのキーボードを押していくような、それはもう一時的な作業でしかなくて、そんな中で「わたし」という概念が生まれるのはどういうことなのだろうか。「意思」があることとないこととについて、どれほどの違いがあるというのか。
 惑星間の在り方が素粒子のそれと相似なのは、○と○の関係性がある基本に乗っ取って繰り返されているだけだからだ。それはもう、全てが。「全体像」から繰り返しの一部分をパターンとして切り取ること、それがミクロの在り方だ。
 だとすれば。「意思」もまた、「全体像」の一部分のパターンを切り取っただけなのだ。「個人」や「わたし」という概念は「意思の全体像」の一部を切り取ったものだと云える。

 何が云いたいかというと、その全ての「わたし」がひとつの○から生まれた、ということだ。そして「個人」として生きることが、考えることが、欲することが、過ちを犯すことが、その全てが「全体像としてのわたし」のパターンの繰り返しだからこそ、人類は同じように戦争を繰り返すのだ。どんなに時間が経っても戦争が終わらないのは、それが人間の…あるいは「わたし」の本能だからだ。そして「全体像としてのわたし」は戦争を好みながら世界を平和にしたいという矛盾を抱えていた。
 だから聖者も悪人も僕ら一般市民も、神様も英雄も奴隷も、教師も生徒もみんなも社長さんも、全部が同じパターンの繰り返しという人生を歩むだけだ。その、ある意味で決められたレール…「全体像としてのわたし」…から「わたし」だけを確立した上でレールから逸脱することが、いや、しようとすることが、「わたし」なのだ。

 それもまた、「全体像としてのわたし」の抱える矛盾にすぎないのだけれど。

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