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2001/11/03 (Sat) インディゴ

「コンビニエンスストアは記号的だという考え方がある。それは個人の気持ちの問題ではなく、特に僕においては世界観というレベルにまで押し上げることが出来る考え方だった。商品、店内、店員、そして客さえも全てが統計的に効果的な記号で表され、意味を希薄させられて陳列される。しかも、陳列の方法も非常に効果的な判断により行われている。この判断もまた個人の気持ちではなく、記号として効果がある…つまりは金になる…との結果から得た処理だった。機械が制御するコンビニエンスストアは、それ自体が機械なのだ。機械の処理はどんなトランザクションを組もうと、究極的にはゼロかイチかの二択になってしまう。この世の全てをゼロかイチで判断してしまう。それはある意味で素晴らしい。人間は…ともすれば生存する全ての生物の中で唯一この種だけが…判断に意味を付加させるくせにその判断を誤り、さらには意味をも間違えてしまう。ただ、ひとつ幸いなことがある。判断を誤ってしまったとしても、それは「よかった」か「よくなかった」かのどちらか、二択で判断できるということだ。重要なのはAかBか、ではない。それが記号的な処理の救いだ。AかAではないか。集合という概念の中、AのバーおよびAで全てを包囲できるけれど、人はAのバーの中にBなどという事象を持ち出して意味を曖昧にさせていく。BがAのバーの中に含まれるのだから、究極的にはAかAではないか、という二択で全ては現されるだろう。しかし。駄菓子屋で先日、奇妙な商品を見つけた。「うまい」とだけ書かれた小さな袋だ。中身はどこにでもある菓子が入っているが、それもまた記号的に付加されただけの抽象的な、果てしなく意味と意思を持たず判断から逸脱したものであるはずなのに、その「うまい」の一言は人の判断をありえない重力…あるいは引力…でもって引き寄せてやまない。意思は、あるいは言葉は引力だ。自分の意思に対しての引力。心を揺さぶる言葉は、それ相応の質量を持った命題だったのだ。何気なく発した言葉が、判断によって重力をゆがませる力を持つことは想像に難くない。つまり今日は何が言いたかったかというと、この知性にも引力があるということの証明をしたかっただけだ。この言葉に反応する存在は引力に引き寄せられたと考えるべきだ、と」
 男は息継ぎする間もなく、圧倒的な活舌で一分も経たないうちにこれらの言葉を言い放った。しかし通り過ぎる人々は、選挙カーの上のこの男に一瞥もくれないままに行過ぎるのだった。

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