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2007/01/16 (Tue) revolution

「この仕事は君にしかできないんだよ」
上司にそう言われ、その日は何故か寿司を食べさせてもらった。

「あたしにはあなたしかいないの!」
いつもそばにいる人が泣きながら、僕を殴りながら、そう言う。僕は血を飲み込みながら、何も思わない。

「お客様にぴったりのクルマですよ!」
馴れ馴れしい営業が変な笑顔で言う。


帰るのはいつも終電。出社は朝8時半。別にそれは普通だと思っていた。
やらなければいけないことだと思っていた。
彼女が泣けばお金を与えなければいけないと思っていた。


1月半ばのこの夜、月は見えない。
そういえば、先月の今日は、綺麗な月が見えていたっけ。

ふと目をやると自転車置き場のそばで猫がうずくまっている。何匹もだ。
深夜になれば氷点下のこの時期でも、どうして野良猫が生きていけるんだろう。
…僕にはわからない。

僕は、何も考えずに、終電でいつもの駅に降り、何も考えずに帰宅しようとする。
月を見ようとして、猫に手を差し伸べようとして、他人の目を今更気にしたりして、イヤホンから響くいつもの曲を意識することもなく、いつものように、いつもの道を歩いて、いる。


そんな僕が、誰に必要とされているっていうんだろう?



「あなただけ」「きみだけ」「おまえだけ」…みんながみんな、僕をオンリーワンだと言う。
僕もそれに答えようとして、必死に笑顔を作り、苦痛をかみ殺し、頭痛を誤魔化し、努力を続ける。



…ああ、そういうことか。

耳に響く曲が、いつも歌っていたのに、どうして僕は気付かなかったんだろう。
自分で造っちまった、エラく頑丈なこの手錠に。


途端、僕は足元を確認する。
錠で繋がれた両手で、しっかりと足を撫でてみる。革靴を叩いてみる。


「よかった。まだ、大丈夫」

足枷はついていない。
僕は、まだ、全速力で走れるんだ。
翼がなくても、手を繋がれていても、僕は僕をまだ、持っている。

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2006/01/21 (Sat) 流行の歌も歌えなくてダサいはずのこの俺

なんで流行の歌が嫌いかっていうと、それは、たぶん、大人になったからではなくって、彼がモテないからだった。

子供の頃からモテなかった。女子と会話するという一大事が、そもそも年に(片手で)数えるほどしかなかった。
そんなだから彼にとって恋愛とは高尚で神聖で美しく、「こころ」を大事に思う、優しき人たちのためのあるべき姿だとさえ思っていた。安っぽい雑誌やネットやテレビに氾濫する安っぽい人付き合いが大嫌いだった。「こころ」よりも「カラダ」を先行するくされ脳みそな奴らが大嫌いだった。でも自分は他の奴とは違うとも思えなかった。
ちょっとずれている。それは自覚していた。それは恋愛経験のなさのせいだ、と分かっていた。
けれど、日常生活の何をどうやっても恋愛なんて存在しなかった。ちょっとずつ積み重ねることが、そもそもできなかったのだ。

「電車男」の何がすごいのか、彼は必死に考えたことがあった。結論は、「どんなパーソナリティを持った人であっても、それを一人の人間として受け入れて考えてくれるエルメスの存在が物凄い」だ。
誠実で純粋で真面目な男というのはつまり自分だろう、と彼は思っていた。ということは、そういう確かな男は世の中に沢山いるはずなのだ。ならばどうして自分は恋愛と縁がないのか。答えは簡単だった。
そういう男はつまんない、という世の中の在り方が、つまり彼(ら)を恋愛から遠ざけているのだ。
世の中に、エルメスはいない。そのことに気付いている人はどれくらいいるだろう? 偏見を何一つ持たない人など、どこにいるだろう。あるいは、そんな人が偏見を持つ人に影響されずに生きていける場所が、どこにあるというのか。

だから、10代の自称アーティストが恋だ愛だ何だと歌う姿は虫唾が走ってたまらない。

そう考える彼は、結局は世の中にとって「普通」の存在だった。よく物事を考える几帳面なパーソナリティ、を彼の存在に付加されるのと同じ程度にしか意味はなかった。
けれど彼は思う。自分はもしかして間違っているのではないかと。気が狂っているのではないかと。

オタクな男が誠実で真面目なわけではない。すべてはたまたまだった。そして、自分で思うほど恋愛は特別じゃない。だから、流行の歌には共感できないのだ。
高尚なメロディを「アーティスト;芸術家」と名乗るパクリが汚していく様を、どうして人は憂えないのだろう。

けれど、彼には望みもあった。
それもまた、彼の確かなパーソナリティ。

1秒に2種類の動植物が絶滅していく。
1秒に2000㎡が砂漠になっていく。
そんな世界で、
1秒に300曲が生まれている。
どんな形であれ、思いを綴ったメロディが、全てが全て違う形で、生まれ続けている。
そう思えることが、世界への、彼の希望だった。その中の何万分の1が自分に届くだろう。こころを動かしてくれるだろう。彼は期待する。

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2006/01/20 (Fri) 存在

小学校の頃、いじめに耐えかねて首をくくった子がいた。
5年生くらいだったか。よく思い出せない。特に親しかったわけでもなかったし、名前も顔も、今じゃ分からない。声なんてとてもとても。まともに話したことさえなかったような、クラスの「おともだち」だった。

その子がいなくなって、その子の机には花が飾られるようになった。花当番というのがいつのまにかできてて、みんな日替わりで水を換えたり花を換えたりしていた。いじめっ子も、その花にはイタズラすることもなく、日々の慣習として、続けていた。

6年生になってクラス替えがあって、夏休みの少し前くらいになって僕は思い出した。
そうだ、あの子の席がない。
他のクラスに行って名簿を見ても、どこにも載っていない。
あの子の席は、なかった。
僕はそのときにはもう顔も声も曖昧になっていたけれど、「その子がいない」という事実に怖くなった。子供心に、これはよくないんじゃないか、なんて思った。

卒業アルバムには、なぜかその子の写真があった。何度も確かめても入っていなかった1組に、その子はいた。いや、いない。入れるところがなかったから入れたのだ。そうに決まっていた。
卒業式の次の日、僕は先生に会いに行って、思っていたことを打ち明けた。
先生は「あの子はいなくなったんじゃなくて、あの子がいないということが”ある”ようになったんだよ」みたいなことを言った。

「そんなの誤魔化しだ!」僕は半べそで叫んで、その場を後にした。悔しかった、のだと思う。けれど、今思うと、それがなぜだろう、よく分からないのだ。
先生の言ったことの方が、なぜか、今の僕にはすんなり受け入れられてしまうのだ。

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2006/01/11 (Wed) 超新星

気付いた時には、火は消えていた。
擦り切れて血が滲む手が掴んでいたのは、鈍く燻っているだけのたいまつで、歩いていた場所は明るくて、温かくて、火は必要なかった。だから、消えていたことにさえ気付かないでいた。

洞窟に入って始めて気付く。
そこは暗くて寒くて、僕は一人で。

それでも闇に目が慣れてきて、片手を壁につけながら進んだ。目指す先をはるか遠くに見据える。いや、本当は見えていない。”それ”があると聞かされて、思い込まされて、”そこ”に辿り着くために歩いているのだ。
もうどれくらい歩いてきただろう。
わからない。
日記をつけていたノートはすでにページが埋まっていて、久しぶりに新調したノートは1ページも書かないでそのままだ。
そういえば、そのときもだった。
ノートを新しくして街を出て、ペンがないことに気付いたのだ。

僕はいつもそうだ。
失くしてから気付く。
分かっているはずなのに、体験しないと心が納得しない。だから、こうして歩く。先の見えない道を歩くのだ。
大人になっても、続けている。

僕は一人で、今も、歩いているんだよ。

思い出して、少し涙が溜まった。
もうちょっと僕が若かったら、こんなことでは涙は出ないはずだった。今まで僕が関わってきた沢山…とはいえないまでも、数え上げられない数の人の顔を、不意に思い出したのだ。
みんな今どこで何してるんだろう。
僕はどうして今も一人で歩いているんだろう。

それでもたぶん、誰かに会っても僕は、何も言えない。何かを言わなきゃって思ってテンパって、結局言葉は出てこない。
そして適当に挨拶をして、別れて一人で歩き出したころ、やっと言葉が出てくるんだろう。
もう何度も何度も繰り返した。
いつも遅いのだ。一人になってから、気付くのだ。

これは後悔だろうか?
だとすれば、人はどうして、後悔するような生き方を…歩き方を、選んでしまうんだろう。
ホントに欲しいことは分かっているのに。
それでも、歩く。
ただ歩く。
暗くて、怖くて、叫んでもどうしようもなくて、誰もいない場所で、でも、歩く。歩くしかないから。

気付くと、消えたはずのたいまつが、まだ燻っている。
鈍い。遅い。でも、燻っている。
僕は、火種を求めてまた戻るべきなんだろうか?
「今度こそ火は消さない」って心に誓って?

…最初の町へ?
じゃあこの旅の意味は何だ。



「何もない」



うっかり、声に出た。
そうだ。何もない。血を流していることに気付いて、火が消えていることに気付いて、誰もいないことに気付いて、そして、後悔して、足を止める。こんなことを続けて何になるって言うんだろう。

気付かなくても、わかった。今は夜だ。
洞窟の中だから夜とか朝とか関係ないんだけど、今はたぶん、夜だ。空には沢山の星があって、それを眺めたら少し穏やかな気持ちになれるんだろう。そんなことは分かっている。
でも、僕が見上げた瞬間の夜空は、
そんなものは、
無いのだ。
本当の星は全部消えていて、燃え尽きていて、僕が見ていたのは、星がかつて燃えていたというだけの光にすぎないのだ。
それはたぶん、僕もそうだ、と単純に結論付けたくなってしまう。
僕が生きた証は、僕がいなくなった後に誰かが付加するものなのだ。いい意味でも悪い意味でも。

「なあ」
燻っているたいまつに話しかけた。自分がいかれていることを知りながら、僕は震える声で話しかけた。
「お前も、消える前は一番強く燃えてたのか?」

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2005/11/08 (Tue) 大きなのっぽの古ブロガー

「永遠に生きる」と叫んでリアルから消えた男がいた。消えたかどうかは分からない。いや、消えたのはブログからだ。

男はブログを更新しなくなった。最後の言葉が、「永遠に生きる」だ。まったく意味が分からない。少しだけ考え方や世の中の見方が私に近かった男のブログが更新されなくなった、ということ。それだけのこと。

そうだ。ブログに自分の全てを残したとしても、それは永遠に続くセルフログではない。宇宙に一人で浮かぶ棺桶みたいなものだ。「宇宙葬だ」とか言って喜んで打ち上げたはいいけれど、その先は誰も知らない。どっかの海に落ちていたとしても、打ち上げた人、つまり生き残った人だ、は浮かれて大騒ぎしていて、そのことに気付かない。

死んだら終わりだ。永遠なんてない。


大きなのっぽの古時計が人々に喜ばれるのは、おじいさんと一緒に死んだからだ。と、普通は思う。誰だって最初はそう思うだろう。でも、そうじゃない。
「嬉しいことも悲しいことも皆知っている」んだ。おじいさんが忘れ去った悲しいことを、いつまでも刻んでいるんだ。その古時計はつまり――…


初めての子供が生まれた、もう若くない夫婦がいた。
大事に大事に育てたい。自分たちの人生の全てはこの子の時間に捧げよう。どんな希望が待っているだろう。どんな未来が待っているだろう。世界はどう変わっていくだろう。その全てに夢と希望を乗せるため、夫婦は町で一番大きい時計を買って来た。もしかしたら裏に何か刻んだかもしれない。
時計は子供とともにあった。
子供はやがて成長し、綺麗な花嫁を貰った。
時は経ち、妻は先に死んだ。
さらに時は経ち、その子供がおじいさん、と呼ばれて久しくなった頃、ようやく次の物語が動き出した。


おじいさんが死んでも時を刻み続ける時計になりたい、と、あのブロガーは思ったことだろう。
けれど、それは無理な話だったのだ。
親を殺した少女も、放火を続けた記者も、脅迫を続けたレコード会社も、それが話題になるのは、時計が止まってからのことだ。
もう一言も書かれなくなったブログは、早かれ遅かれ消える。彼が残した全ての言葉も。
でも、それでいいと、私は思った。

「今」を刻むことに、時計の意味はあるのだ。
「今」が何時何分何秒なのか。その一瞬のために時計は存在する。おそらく、今、この世界に存在するブログも、「今」を刻むことに意味があるんだろう。
それはつまり、全てのくだらない言葉に、意味があるという、自虐的な、世界の肯定。神がくれた福音だ。

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